3度造営された江戸城天守について考えます。本気で調べると裏付けなどで膨大な時間がかかると思われますので、軽く考えた程度の話になります。
江戸城天守は3回造営されています。1回目は徳川家康によるもの、2回目は徳川秀忠によるもの、3回目は徳川家光によるものです。2回目と3回目は、わざわざ既設の天守を取り壊したうえで再構築しています。なぜ作り直す必要があったのか、書籍では「前将軍の権威を上書きするため」など書かれていますが、決定的な理由については分かっていないという記述が多くみられます。
1回目
構築者:徳川家康
構築年代:
規模:
2回目
構築者:徳川秀忠
構築年代:
規模:
3回目
構築者:徳川家光
構築年代:
規模:
年表:
1603 徳川家康が征夷大将軍となる
1605 徳川秀忠が征夷大将軍となる
1606 江戸城天守建造開始
1614 大阪冬の陣
1616 徳川家康死去
1619 松平忠明が大和郡山へ移封
1620 大阪城改修開始
1620 和子入内
1622 江戸城天守解体 →大阪に転用?
江戸城天守建造開始 石垣含め55m
1624-28 大阪城本丸築造
1623 徳川家光征夷大将軍となる
1623 江戸城天守完成 石垣含め54m
1626 大阪城天守 44m石垣含まず 58.32m石垣含む
1637 江戸城天守解体
江戸城天守建造開始
1638 江戸城天守完成 石垣含め62m 59m? 44.8m石垣含まず
1657 江戸城天守焼失
1665 大阪城天守焼失
以後再建されず
(江戸城は天守台のみ造営)
(大阪城は昭和になり再建)
大阪城との関係
参考文献
歴史群像シリーズ よみがえる日本の城30 城を復元する、学習研究社
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