城郭探訪録:関西編




大阪府


大阪城

場所大阪市中央区
形式・指定平城・特別史跡
遺構石垣・堀・大手門・桜門・多聞櫓・千貫櫓・一番櫓・六番櫓・焔硝櫓・金蔵・金明水井戸屋形(すべて重要文化財)
探訪1986/03/30、1998/05/26
歴史 大坂の陣後、徳川氏によって再築された。天守(5層、昭和6年)が再建されている。詳しくは私のページ「大阪城豆知識」をどうぞ。平成9年の大改修により、天守が奇麗になった。
感想
”城外からは天守閣はビルに隠れて目立たないのだが、いざ昇ってみると見晴らしの良さに驚く。また周りの緑の豊富さにも目を奪われた。正しい比較かは知らないが、ニューヨークでいうセントラルパークみたいなものだろうか。
 もう1つ驚いたのが、外国人の多さだ。自然と耳に入ってきたのは、英語と中国語だ。ともすればここでは日本語が通じないのでは、と錯覚するほどだった。平日でも結構人がいたので結構なことなのだが、天守閣がちょっと正統なものではないということが残念だ。
 何しろ鉄筋コンクリート造りで内部は城郭建築とは異なっており、外観ですら豊臣時代の天守に似せているだけで中途半端だ。それに徳川時代の石垣の上に建造されているということで、言ってみればめちゃくちゃだ。やはり外国人に城郭文化を紹介するなら姫路城や松本城、松山城のほうが数段勝るだろう。'98.5.26”


岸和田城

場所岸和田市岸城町
形式・指定平城・府指定史跡
遺構石垣
探訪1986/05/25
模擬天守(昭和29年)がある。櫓等が再建されている。

高槻城

場所高槻市城内町
形式・指定平城・府指定史跡
公園として整備されている。

茨木城

場所茨木市
茨木神社に移築と伝えられる門、茨木小学校に移築された門を復元したものがある。
感想
” 小学校で、新しい立派な門があった。看板の説明を読むと、これが慈光院に移築された門らしい。新たに復元したということだ。古めかしいものの、堂々たるものだった。しかし窮屈そうな場所に建っていた。茨木神社の東門が、茨木城の搦手門を移築したものらしい。かなり大きな門で、これはたしかに城門でも通用しそうだ。”'98.8.17


三宅城

場所摂津市
阪急線路の近くに石碑があるのみである。

郡山城

場所茨木市(浪速少年院付近)
石垣に使われたと思われる石が説明板とともに置かれるのみである。

地黄陣屋

画像[石垣]
場所能勢町地黄(東部小学校)
遺構石垣
感想
“城は石垣がよく残っていた。特に田畑のある側は堀らしき小川があり、良い感じだった。建物があったであろう郭はグラウンドになっており、一角に小規模ながら堀に囲まれた石垣があった。
 …能勢氏古城址だったか、そんな碑があった。昔からある壇なのだろうか。郭を囲んでいる石垣の内側は土塁になっていた。歩こうと思ったら、蛇がいた。
 隅は櫓がありそうな空間があり、入り口とおぼしき場所は少し低くなっていた。もう少し歩くと立派な枡形だ。石も大きめだった。さらに進んで郭を1周した。田畑の反対側は道が通っていたり民家があったりして面影は少なかった。
 城跡を利用してうまく学校が存在しているが、桝形や石垣の残り具合から見て少しは整備されてもいいのではないかと思った。…せっかくの石垣が埋もれてしまうのはもったいない気もする。”'99.10.31


和歌山県


和歌山城

画像[天守と岡口門石垣]
場所和歌山市一番丁
形式・指定平山城・国指定史跡
遺構石垣・堀・岡口門・追廻門
探訪1986/05/25
歴史虎臥城や竹垣城ともいう。昭和33年、天守(3層)等が外観復元され威容を取り戻している。


新宮城

画像[出丸]
場所新宮市丹鶴町
形式・指定平山城・国指定史跡
遺構石垣・天守台
探訪1986/01/15、2023/01/31
丹鶴城ともいう。

猿岡山城

場所那賀郡粉河町粉河
歴史秋葉山城・粉河城ともいう。藤堂高虎居城。公園となっている。

田辺城

場所田辺市
遺構水門


奈良県


郡山城

画像[]
場所大和郡山市城内町
形式・指定平城・県指定史跡
遺構石垣・堀・天守台
探訪1986/01/02
櫓や門が復元されている。
感想
”小学生のときに来て以来のことであり、そのときは真新しかった門や櫓は汚れていて風格が出てきていた。”'97.8.25

高取城

画像 [石垣天守台石垣]
場所高市郡高取町
形式・指定山城・国指定史跡
遺構石垣・天守台

秋山城

場所宇陀郡大宇陀町春日
形式・指定山城・国指定史跡
遺構石垣
松山城ともいう。
感想
” 神社に立派な石垣があった。城と関係があるのかは分からない。神社には立派すぎるように思えた。神社の脇の道を歩き、山に登った。登城というより登山だ。霧山城よりはましだったが、土地の状態はひどかった。
 手入れがしていなくて、草が伸びるままだった。蜘蛛の巣にも何回もかかった。城内は荒れるままだったが、がんばればそれなりに発見ができる。奥の方に行くと、発掘調査中らしく青いシートがかかっていた。遺跡の状態が分からないのは残念だが、結果が楽しみだ。L字型の入り口になっていて、来た道とは別の道があるようだ。
 本丸らしき少し高くなった場所が一番荒れていた。さらに高くなった場所は天 守台なのだろうか。碑が建っていた。天守台脇には石垣で囲まれた凹型の井戸 らしき遺構も認められた。本丸は出口が分からなくなるほど草が生い茂ってい た。整備が望まれるところだ。石垣がところどころに残っていたが、長年放置 され味のあるものになっていた。また打ち込みの石が細かく、特徴ある石垣だっ た。”'99.5.15

小泉陣屋

場所大和郡山市小泉町
遺構堀・門(小泉神社に移築)



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