・データ
期間:12月20日〜21日
交通手段:原付
ルート:茨木ー和歌山ー紀伊勝浦ー河芸
コメント:以前から中国に行ったとき思いついたことを実行に移した

12月20日

 8時過ぎ起床。変化に富んだ一日だった。紀伊半島を海岸沿いに進み、実家へ帰るべく原付で9時頃出発。まず国道170号に出て、南下した。藤井寺で警官に呼ばれた。原付は通行禁止になっている高架道路を走ってしまったからだ。完全に看板を見落としていた。罰金は5千円だ。今日の出費がこれだけならまだよかったが、それだけではなかっただけに痛い。

 初めての違反だったので残念だったが、仕方ないと思う。だがふとこれを境に繰り返し捕まることになるような気がした。そうならないために気を配らなければならないのだが、面倒だしいちいち気にしていたら乗るのが面白くなくなってしまう。

 国道480号に出て、国道24号を目指した。和泉市の和歌山県との県境近くのガソリンスタンドで1回目の給油を行った。ガソリンスタンドにいたのは1人のおっさんだけだった。おっさんとしばし話をした。これが旅のいいところで、普段の生活とは違い、人に対する好き嫌いがない。だから人と話がしやすくなる。大学に行って帰ってくるだけの生活とは大きく違う。

 24号に出て、和歌山を目指す。海南市に向かったほうが近くなりそうだった が、国道42号を制覇したかったのであえて和歌山に向かった。和歌山城を横目に見た後、左折して無事42号へ。

 ここからは42号をひたすら走った。「田辺150km」とか何とか看板が出ているのを見て、時間が気になりだした。このころは23時になろうが24時になろうが1日で行くつもりだった。

 急に後輪から変な音が聞こえだした。よく見てみると太い釘が刺さっていた。どうやったら刺さるのだろうと苦笑しながら抜いたが、案の定空気が漏れだした。何か止めるものはないかと周りを探したら、運良くつまようじが落ちていた。てきとうに穴に突き刺し、また走り出した。

 しかし後でタイヤを見ると空気が結構抜けていたので修理することにした。どこだっただろうか、広川町あたりの修理屋で直してもらった。修理代は1500円。ミラー代といい、金がかかって困る。

 その間にようやく本格的な休憩をとることができた。昨日買ってきてあったおにぎりを1個食べた。今日初めての食事だ。出発した頃は腹が痛かった。

 さてそれからは一生懸命走り、田辺で2回目の給油を行った。後で見てみると147キロ走っていた。すごいと思う。前のZXでも130キロぐらいだったので、以外な燃費の良さに驚いた。しかし実は大阪と和歌山の県境の峠で、エンジンを切って坂道を何キロか転がしていたことが背景にあると思う。それでも少なくとも140キロ以上は走ったわけだ。

 この頃になると、あせりを感じ始めた。走りながら気がついたが、ガソリンスタンドは夜には閉まってしまうではないか。ガソリンがなかったら走れない。また紀伊半島南部に入って暖かくなったというものの夜だから寒いことは寒い。体力も消耗している。もう50キロで走り続けているが、警察を警戒しなければならないため面倒だ。

 そこでいろいろと考えを巡らしてみた。まず第1、このまま実家まで走り続ける。ガソリンスタンドが開いているのなら可能だが、開いてなかったら不可能だ。そして第2、もう今日はあきらめ、鉄道で実家まで帰る。明日また鉄道で戻ってきて続きを走ればいい。ワイドビュー南紀や快速みえに乗れるから嬉しい。

 しかし紀伊勝浦駅まで来て時刻表をみたら特急南紀の最終列車はとっくに出ていた。そこで第3の現地で1泊して明日続きを走る、という案を採択した。とりあえず実家に電話をした。父親に相談し、ビジネスホテルがいいと言っていたので近くのホテルに泊まった。風呂もトイレもついていて前にも何回か泊まったことのある旅館の1人分みたいで思ったよりも豪華だった。

 1泊4400円。そんなに高くはないと思うが、何しろ今日の出費はこれだけじゃない。燃料代以外はほとんど使わないつもりだったが、とんだ贅沢旅行になってしまった。

 天候も曇っていて景色は冴えず、肌寒く、夜になっても星が見えない。楽しみにしていた潮岬は寄る時間もなくしかも夜だ。いったいどんな景色が待っていたのだろう。今度来るときは車だ。

 とはいえ刺激の多かった一日で、学校のあるときよりも有意義に過ごせたと思 う。何しろ生まれて初めて見知らぬ土地で(1人で)1泊したのだから。いい経験になった。 (97/12/20 23:59:35 記入)

12月21日

 6時半起床。あと30分寝ようと思ったが、早めに出たかったので起きた。7時にビジネスホテルを出た。そのまま飛ばし続け、獅子岩で休憩をとった。何度か通りかかりざまに見かけたものの、間近で見るのは初めてだった。写真でよく見る和歌山側の反対側から見てみてもやっぱり獅子の形をしていたのを確認した。

 歩いているうちに腹が痛くなった。下痢だった。近くの喫茶店にトイレがあったので助かった。終わった後再び海岸に出、石を拾った。ある程度の大きさでつるつるしている石が当たりに広がっていた。

 再び北上を続けた。熊野、尾鷲、を抜けたが、風が強くかなり走りにくかった。ミルクの郷大内山村などを素通りしてとにかく松阪を目指した。

 途中かなり肩が凝り、降りてみると足がふらふらだった。しかし早く目的地に着きたい一心で走り続けた。この頃には3リットルで150キロ以上走れるようになっていた。

 ちなみに通常は45キロで、たまに50キロで走り、トンネルでは60キロ近く出した。警察を警戒しながら走ったのでミラーチェックをこまめにした。疲れた。給油は1回のみで、後は実家までぎりぎり燃料が持った。

 実家には13時頃着いた。もうぐったりだった。体中に力が入らない。こんなに疲労がたまったのは久しぶりだ。着いたときはしゃべるのも苦労した。

 少々休憩したが、たいして回復しなかった。結局今日は疲れたままだった。疲れながらも四国旅行の準備をした。具体的にはカー用品の調達だ。

 父親に車を運転してもらい、あちこちまわった。最終的にシガーライターから電源をとる道具、音声を入力するカセット、広いルームミラー、ドリンクホルダーだ。2000円を超えるものはなかったが、なかなかの出費だ。

 学校が終わっていらい猛烈に出費し続けている。もちろんアルバイトで貯めた金があるから余裕がある。アルバイトをした分使うまでのことだ。

 四国旅行については、父親が我が事のようにルートなどを考えてくれた。相変わらず過保護だと思うが、つい甘えてしまう。父親のアドバイスによってかなり修正が入ったが、何とか四国へは行けそうだ。ただし明日体力が順調に回復すればの話だ。

 夜にTさんと話したが、疲労のあまりゆっくりと話ができなかった。南港の 様子を少し聞いたので参考になった。今日はとにかく疲れた。早く寝たい。 (97/12/21 21:54:57 記入)

・データ
期間:12月22日〜26日
交通手段:軽4自動車
ルート:河芸ー茨木ー大阪南港ー高知ー松山ー高松ー岡山ー赤穂ー茨木
コメント:初めての本格的1人旅。当初は原付で行こうとしていたが、盗まれたため挫折

12月22日

 8時起床。午前中に旅行で使う車を洗った。姉が郵便局へ行くついでに罰金5000円を払ってもらった。あまり食欲がなかったのでほとんど食べれず、13時過ぎに家を出た。先に千里が丘の祖母に会いに行った。

 コンタクトにし、髭も生やしていて人相が変わったためか、祖母はまったく分からないようだった。何がしたいのかよく分からなかったが、祖母は歩き回った。表情は前回よりも元気がなかったようだが、動き回っていたのでパワフルだと思った。

 髭で思い出したが、昨日家族に顔面を見られ、母親に人相が悪いと言われた。犯罪者っぽいとも。実際そうだろう。特に身内には不評になるだろうから、正月が怖い。

 船が揺れている。船の中で書いている。船酔いになりそうだから早く書いてしまいたい。ちなみに朝から体調が冴えない。昨日の疲れはかなりとれたが、全快とまではいかない。

 結局14時過ぎに河芸町を出発し、道の混雑もあって17時過ぎに茨木の自宅に着いた。名阪国道では、周りの車に合わせて走っていたら自然と100キロ出てしまった。その分気持ちよかった。

 18時過ぎに家を出て、2時間かけて南港に着いた。入り口がいくつかあって迷ったが、車がほとんど通っていなかったのでゆっくりと探せた。残念ながら学割がきかず、14000円かかった。車もそれほど多くなかったので楽に船に乗り込めた。

 船はやはりいい。高校の修学旅行を思い出した。あのときは瀬戸内海を横断したが、あまり船旅を満喫していなかったように思う。今にして思えば粋な旅だったと思う。船を使ったことに関して。今でも行く必要のない旅だったという認識には変わりはない。

 船が揺れる。これ以上は画面を見ていられない。船の中でMAT君に電話をした が留守だった。予定通り行くというメッセージを残した。(97/12/22 23:20:00 記入)

12月23日

 5時半起床。ひとまず龍河洞へ向かった。看板の見落としがあったのか、てき とうに進みすぎたのか、なかなか着かなかったが、8時頃着いた。(車内で)30分間ギターで歌ってから、洞窟に入った。

 入場料1000円は高いと思うが、ガイドが1人ついた。何でもいたずら防止のためらしい。できれば1人でゆっくりと歩きたかった。通路は1人が歩ける程度のもので、かがまなければ進めないほどのところもある。まさに探検しているような感じであり、秋芳洞とはまた違った魅力があった。

 次にスカイラインを通って竜馬歴史館へ行った。Tさんに借りたガイドブックでは有料のはずだったが、無料になっていた。走ってみて思ったが、有料らしい道とはいえなかった。

 竜馬歴史館は蝋人形で竜馬の生涯を追っているのが特徴だ。それなりにわかりやすいものの、竜馬についてはたいてい知っているため新しい発見はなかった。今度の観光で期待していたのは貴重な史料の見学だったが、そういった展示はあまりなかった。

 昼頃歴史館を出て、高知城へ行った。有料駐車場のおっちゃんに駐車場の情報を聞いたのだが、その人から初めて土佐弁を聞いた。「〜しちょる」と言っていただけだが、それを聞いてとても感動した。

 予想していたより高知城はこじんまりしていて建造物も少なかった。アイスクリンが売られていたが腹によくないので買わなかった。とにかく高知城はあまり感動がなかった。

 昼食は省略して、桂浜へ行った。竜馬記念館に車を停めた。そこで失敗があった。車のキーを車内に残したままロックしてドアを閉めてしまった。呆然としたが、とりあえず歴史館の人に相談しに行ったら、開けに来てくれた。それで何とか助かった。女の人2人が来てくれたのだが、ここでも高知弁でしゃべっていた。「〜しちゅうきに」、こんな感じだ。女の人が言うと新鮮だ。

 記念館では手紙や暗殺現場の掛け軸などが展示されていたが、複製だったのが残念だった。結構期待していたが、期待しすぎたのか。

 記念館の後には桂浜を歩いた。駐車料金400円には参ったが、やむを得ない。竜馬の銅像も特に感動しなかったが、浜の散歩はそこそこよかった。

 17時頃だったか、MAT氏の家へ向かった。愛媛と高知の県境で一服し、シシ丼を食べた。イノシシの肉を食べた経験があまりなく、興味があったからだ。固かった。また、量が多く食べるのに苦労した。いつものことだ。

 MAT氏の家には21、22時頃到着した。MAT氏がぼうぼうと髭を伸ばし ていたのにはびっくりした。(彼の)バイクの大きさにもびっくりした。本来ならもっと松山の様子などを詳しく書きたいところだが、眠いので省略する。

 MAT氏に頼んでS氏に電話をしてもらい、久しぶりに話をしたが、何か怖かった。またMAT氏はO氏にも電話をかけていた。MAT氏は探検部で活動している。その話を聞いていて無性に「もう歌うしかない」と感じた。

 O氏には彼女ができ、しかもお笑いに精を出し、MAT氏は探検をしているし、 キーボードを家に置いて曲まで作っている。俺はどうかといえば、電子計算機は 中途半端に使える程度だし、他に取り柄もない。どうすればいいのか分からない。 (97/12/24 00:23:30 記入)

12月24日

 7時半起床。MAT氏とTMNの話など8時半までしていた。とりあえずは歩 いて道後温泉本館まで行った。風呂には入れ墨をした初老の人が1人いて、少し驚いたが別に怖い人ではなかった。温泉はまあまあだった。あまり温泉の種類による違いが分からない。

 路面電車に乗り、松山城へ行くつもりだったが、カメラがないことに気がつき、車に戻らねばならなくなった。この辺の心理を説明するのは難しいが、路面電車の終点まで乗り、さらに乗り換えてかなりの距離を乗った。

 結局は歩いて松山城へ行ったのだが時間の都合でリフトにした。松山城は、もう最高だ。建造物の多さといい、看板の丁寧さといい、市の管理といい、最高だ。1日かけてもいいくらいだったが、時間の問題はまとわりつく。

 松山から佐田岬へ行こうとしたが、市街を避けようとするあまり道に迷ってしまった。ため息ものだ。松山を出るのに1時間近くかかるとは。しかも危ないことがあった。

 よくある片側2車線で右折車があったときに回避する場面だった。車の間に入り込むのはもっとも苦手とするものだ。完全に停まってしまい車がいなくなるのを待った。もうええかと思って左車線に行こうとしたら車が来ていて当たりそうになってしまった。ミラーでの確認が不完全だったからだろうか。

 相手の車は怒っていた(当たり前)。寄せてきたので怖かったが、すぐにむかっときた。何もそこまでしなくてもと思った。しかしすぐに自分の運転の非を悔いた。かなりショックだった。

 眠い。もっと書きたいが寝なくてはならない。また明日も車の旅だ。早く区切りを…。眠ーい。眠うう。

 えーと、佐田岬へ行くのにも道を間違えている。狭く曲がりくねった道を走った。今日はそこだけでなく佐田岬半島の先のほうの道でもかなりのものだった。おかげでカーブの曲がり方がうまくなったかもしれない。ブレーキを使わなくなった。

 佐田岬は恐かった。人気がほとんどない。灯台は工事中で入れなかった。空耳だろうが念仏のような音が聞こえてきた。佐田岬から松山へ帰る道で、何回か車を停め星を眺めた。初めてかもしれない。数多い星。あまり表現が出てこない。

 MAT氏の家へ戻るのにも迷った。これからMAT氏の家でのことについても書か ねばならないところだが、もうこんな時間だ。(97/12/25 02:59:23 記入)

12月25日

 8時頃起床。8時半頃出発。この日は日記を書きたくなくなるほど疲れた。そのため次の日に書いている。MAT氏とはここで別れた。寝起きのためあっさりとしたものだった。昨日書き忘れていたが、MAT氏に夕食をおごってもらった。泊めてもらったうえに夕食までおごってもらえるなんて夢のようだ。

 さて、今治に寄るか否か迷っていたがそんなに時間はかからないだろうと思い、国道196号で海岸沿いに走った。順調に今治へ着いた。もちろん目指すはは今治城である。

 …とここまで書いて突如として眠気が訪れた。もう27日になってしまった。記憶をたどるのが大変だ。それはさておき、今治城は天守閣最上階からの眺めがよかった。来島海峡にかかる建設中の橋がはっきりと見えた。そして瀬戸内海の島々。眺望というのは城の一つの魅力だ。

 天守閣は5階か6階はあったので、展示品も多くなかなか見応えがある。しかし常に時間の制約があるため心からリラックスしてまわることはできなかった。

 昼食は今治城向かいの食堂でとった。ぼろぼろで、味の保証がなさそうだったが、そこがまたいい。蠅が1匹さまよっていた。カレーライスを注文する。味はそこそこ。

 ここで昨日の話に戻るが、松山でMr.Childrenの「深海」というCDを買った。以前にも聴いたことがあるものだったが、恋しくなってつい買ってしまった。それを聴きながら走った。

 次の目的地は丸亀だ。最初はのんびりとしていたものの、渋滞に巻き込まれたりして焦りがでてきた。そこで高速を使うことにした。どこから乗ったかは忘れたが、たぶん松山自動車道の東端近くだ。そこから善通寺まで走った。

 はじめは80−90程度で走っていたが、しばらくして後ろの車が猛スピードで迫ってきた。さかんにライトの合図を送ってきたので少しムッとした。すぐに抜かされたが、つい後を追いかけようと速度を上げていった。

 100を超え、130を超え、ついには最高速の140近くまで上がった。生まれて初めてだったが、体感速度はあまり変わらないような気がした。運転も楽なものだった。後はだいたい110から120程度で走った。

 さて、15時か16時頃、丸亀城である。小山を石垣で覆ったような感じの城で、てっぺんに天守閣がそびえている。この頃には太陽が沈むのを恐れていた。この後に高松城へ行く予定があったからだ。

 城の中は走って移動した。ちょうどジャージ姿の中学生程度の人々が本丸まで往復していた。別にそれに触発されたわけではないが。それにしても石垣は見事だった。本丸の天守閣に着いたとき、閉まっているのを知った。開いているのは昨日まで、今日から休みになっていた。さすがに口惜しかったが日程上やむを得ない。

 心を慰めてくれたのはやはり景色だった。遠くに瀬戸大橋が見える。反対側には讃岐富士らしきものが見える。思わず写真を撮りたくなった。偶然1人で歩いている人がいたので瀬戸大橋と天守閣を背後に1枚撮ってもらった。

 あとはあちこちを歩き回ったが、やはりもっとゆっくりしていたかった。自分はかなりのんびりしたほうなので、時間がいくらあっても足りないかもしれない。

 そして四国最後の地、高松へ移動した。ここまでは今日は楽しい日々だった。高松では市営駐車場に駐車したのだが、ここでまたやってしまったのだ。高知でもあった、あの「キー置き忘れ」だ。

 高知で開けてくれた人を真似てみようと思ったが、針金がない。そこで高松を歩いて捜すことにした。高松城は玉藻公園になっているが、もう閉まっていた。仕方なく周りを歩いた。商店街を歩き、土産を買った。四国をあちこち行って来たが、最期の地でようやく土産を買った。

 針金についてはキーについている輪をはずせばいいだろうと思い、駐車場に戻って試してみた。しかし長さが足りなかった。心配してくれた親切な駐車場の人が長い針金を持ってきてくれた。後々お世話になることになるが、とりあえず一人でがんばってみた。

 窓とドアの間に針金を突っ込んだがしかしなかなかひっかからず、苦心した。そのうちあきらめが入ってきて、別のことをしようと思った。それは鍵穴に針金を突き刺すことだ。よくテレビで家のドアを開けるのにそうしていたので、真似をしてみたのだ。

 しかしそれがいけなかった。先を曲げた状態で入れたため抜けなくなって しまった。間抜けだ。しかも針金を取ろうと動かしていると根本で折れてしまっ た。救いようがない。

REX

 それがショックだったので、もうあきらめることにした。駐車場の人の助けを借り、というより駐車場の人が電話連絡のすべてをしてくれた。最初はJAFを考えていたそうだが、8000円、1万円はするということだった。他にガソリンスタンドを当たってくれたりしたが、結局スバルに出張修理してもらうことになった。それは僕では気がつかなかっただろう。これなら1500円ですむからベストな選択だ。

 スバルの人は苦労していたが、無事開けてくれた。本当に申し訳ないと思った。 たかが鍵を開けるだけのためにこの寒い中来てくれたのだから。以前近鉄のアル バイトでお世話になったKさんもこういうことをしていたのだろうと思う。ふとそのことを思いだし、これは大変だと思った。

 1番感謝したいのは駐車場の人だ。高松で買った。土産のぶどう餅みたいなのを贈った。そうでもしないと気が済まなかった。ともかくこれでよかったよかった。しかし駐車料金は増加した。

 予定では高松から東神戸行きのフェリーに乗るつもりだったが、料金の関係やまだ元気があったので本州に渡るのに一番安いという宇野行きフェリーにした。3300円。これは安い。しかも1時間で着く。

 こうして20時頃の便で四国を発った。心残りは、徳島へ行けなかったことだ。ごめんよ徳島。またいつか行けたらいいが。そんなことを思いつつも船の上である考えがひらめいた。

 それはもう1泊して山陽道の城を訪れることだ。これはもう欲張りとしか言いようがない。これが後々大損をすることになる。ともかく船上の思いつきで本州も旅行することに決めた。

 船では、車の中でギターの弾き語りをしたが、音をはずしていることに気づき、やめた。結構ショックだった。旅行中は時間があればもっと歌いたかったが、なかなか心の余裕はできなかった。

 宿は岡山にした。が、宿を決めるまでが大変だった。市中を何回も回転した。同じ地点を何回も通った。駐車場付きのビジネスホテルはなかなか見つからなかった。

 空いていそうなホテルが見つかり、車を停めた。「何とかタウンホテル」というところで、普通のホテルのように思われた。料金は休憩と宿泊があり、宿泊は6500円だった。これならいいわと思い、中に入った。休憩があるというのは変わっているなとは思った。

 中に入ると部屋を選ぶようになっていた。自分で選べるなんて得をしたなと思った。この日はクリスマスだ。だからか1000円高くなっていた7500円だった。疲れていたため仕方なく払った。

 部屋に入るとそういうホテルだということにようやく気づいた。急いでフロントに戻り、「ここは2人用ですか」と聞くと「そうです」と返ってきた。僕は1人です、と言うと1人でもいいと言った。冗談じゃない。そんなことは自尊心が許さない。キャンセルした。このとき金を返してもらったのだが、あわてていたためろくに確認せず出た。

 また宿探しが始まった。何とか着いたそこは、6000円+駐車料金1000 円だった。料金を払おうとすると、全然足りない。どうやらさっきのホテルで返っ てきた料金が少なかったためだろう。何て事だ。俺は馬鹿だ。結局次の日払うこ とにしてもらい、ようやく休むことができた。心身共に疲れたクリスマスだった。 (97/12/27 10:44:14 記入)

12月26日

 7時半頃起床。8時頃ホテルを出て、岡山城に向かった。歩いて15分ほどだった。天守閣はきれいになっていた。真っ黒な壁と金の鯱が映えていた。天守閣内部はなかなかの内容だった。なかでも展示品の駕籠に実際に乗れることが新鮮だった。これだけでも300円払う価値があるのでは。

 郵便局で金をおろし、ホテルに戻った。10時前にチェックアウトを済ませ、車に乗り込んだ。ちなみに運転席側の鍵は使えないため、助手席の鍵を使わねばならなくなっている。

 次に向かうは赤穂城だ。国道2号で東に向かった。途中一般国道なのに70キロ出せる箇所があったのには驚いた。ともかく赤穂に着き、すんなり赤穂城にも着いた。赤穂城はなかなか広かった。史料館に行ったり、本丸に行ったりした。門が再建されていた。まったく知らなかった。本丸では御殿の間取りが再現されていた。赤穂浪士の史料館もあったが、赤穂浪士にはあまり興味がなかたので入らなかった。

 今日は岡山城、赤穂城、明石城へ行く予定だったが、明石に向かう頃には雨が降っていたため明石城はやめた。姫路で結構混んでいたようなので、国道2号をあきらめ山沿いに走ることにした。本当に山道の多い旅だ。

 国道176号に入り、大阪に入った。雨が降り、夜だったため道路の線が見えず苦労した。しかも大阪の道だ。怖かったが、無事家に戻れた。18時45分。自分を褒めてやりたい。

 21時か22時頃、F君が来た。本州に向かうフェリーで電話してあったからだ。土産の讃岐うどんを渡した。彼の方からは淡路島のみかんをもらった。彼とは話し込み、23時頃去っていった。

 さて、今日最後の行動はS君に電話をすることだった。最初は他人行儀な話しぶりになってしまった。まあ話していくうちギター練習の日程も決まった。ふと彼の方から話が出たが、小学生の頃墓場で待ち合わせたことがあったのを思い出した。彼の方が覚えていたのには驚いた。彼とはあれ以来不思議な縁だ。今度会うのが楽しみだ。

 1時頃だったか、日記を書いているうち眠気に襲われ、こたつで寝た。 (97/12/27 11:17:30 記入)