金魚、鳥、虎、熊猫、レッサーパンダ、狼、猿などを見た。金魚は、目の周りに袋みたいなものがついていたりして不気味だった。鳥は様々な種類のものが見れた。パンダは一頭しかいないうえに眠っていたので、こんなものだろうとは思ったが残念だった。
一番面白かったのが猿で、一番元気があった。種類が豊富だったが、中でも小ザル3匹がけんかしたりして走り回っているおりがよかった。また、キンシコウも見れて嬉しかった。
友達(F)と二人で出かけたが、二人ともかなり疲れてしまった。僕はもう両足が痛くなり、かなりつらかった。動物園は、ぼろい部分が目立った。動物がかわいそうになってくるほどだった。
動物園は市内からかなり離れているが、途中には道路の高架が建設中だったりして、発展中であることを感じさせる部分があった。一年もたてば風景はかなり変わってしまうだろう。上海は今猛烈な勢いで変わっている。その速さゆえに、様々なへい害があるのではないだろうか。いつかそのツケが回ってくるに違いない。
午後は音楽を聴いたりしてほとんど寝ていた。昨日、おとといの疲れで、腰が痛かった。考えてみれば昨日はかなりの距離を歩いた。後遺症が出ても無理はない。
上海で行動できるのも明日の午後のみだ。できれば彼女と二人で歩きたかったが、話すらしていないので無理かもしれない。
11時半から修了式があった。そのときに証明書をもらい、非常に嬉しかった ので、まだ他の人が受け取っているのに拍手もせず凝視していた。復旦大学の留 学生になって3週間。短い間だったが、確実に上達したと思う。残念ながら大学 内で活動できなかった。特に計算中心(情報処理センター)に入れなかった原因は、語学力不足により未だに分からない。
修了式後の昼食で、白ワインをかなり飲んだ。今までで一番アルコールが入ったことになったと思う。意外にも洋酒が口に合うようだ。部屋に帰る頃には、頭と目が痛くなっていて、結構つらかった。(昼食が終わった後、食堂の前で全員で記念写真を2枚撮った。写真を撮った後、みんなが部屋に戻っても僕はその場で酔いを醒まそうとしばらくたたずんでいた。)
夜に五角場に一人で出かけて買い物をした。もうおなじみの風景だったが、これで最後かと思うと感慨深いものがあった。全部1元のものが売っている露店で、中国将棋のキーホルダーとトランプのキーホルダーを買った。
思えば東苑専科楼も今日が最後だ。初めての2人部屋での生活だったが、同僚が25歳でしっかりした人だったのでかなりお世話になった。最初に同じ部屋に決まったときはあまりいい気はしなかったが、今では感謝している。ただ、25歳で昔よりは落ち着いているみたいだったので、彼がもう少し若かったら衝突があったかもしれない。
せっかくの機会だったが、一回だけしか会話をしなかった。せっかく彼女のほ うから「パンどうだった?」と話しかけてくれたのに、僕はしばらく考えて「固い」と答えただけだった。
今にして思えばもったいないと思う。1時間以上も隣にいながらたった一言だけ。だが、眠っている彼女が僕のほうにもたれかけてきて頭が右腕についていたときは幸せだった。どきどきしたが、それだけだった。
空港からバスで北方交通大学に行き、宿に荷物を降ろした。東苑よりも立派な部屋だった。昼食後、天壇公園に行った。疲れが出ていて、あまりおもしろくなかった。というのも、飛行機内では中国の飛行機ということもあって心配のあまり全然リラックスできなかったからだ。とにかくこれからは観光三味なので、日記に書くことが多くなりそうだ。
毛主席の遺体は人形のように見えた。だが死に顔には違いないので、心にひびくものがあった。実際見ていた時間は30秒にも満たなかっただろう。本当にただ通過しただけという感じだった。
午後は雍和宮というところへ行った。まあまあの場所だったが、なかでもよかったのは関羽・関平・周倉の像があったのと三つ目の像があったことである。何故あったのかは定かではないが感動した。
帰りぎわに三国志のトランプを見つけ、15元を14元にねぎって買った。バスに戻って友達に見せると自分も買いたいと言い、買った場所に案内させられた。しかし売り切れで、買えなかった。彼はかなりくやしがっていた。試験の結果のときもそうだが、普段様々な面、例えば将棋や知識で負けている分、優越感にひたってしまった。
今日思いついたのだが、9日の日記でセミナー参加者のそれぞれの人について評価をしてみようと思う。参加の目的は様々だが、気に入らない人や完全に遊ぶために来た人は一人もいなかった。それぞれの目的を果たすのに一生けん命な人ばかりだった。このメンバーで行動を共にするのもあと4日。人を観察する力も試してみたいと思っている。
昼食の時、初めてWさんの隣の席に座ることができた。食べているときに、今度は自分から話しかけてみた。一回めは聞こえなかったのか無視したのか微妙なところだが、とにかく返答がなかった。2回目、「これ何?」。彼女は答えてくれたが、それだけだった。最初の答えがよく分からなかったので「え?」とか何とか言ったら、どうやらうりのようだった。
彼女の答え方はそっけなく面倒そうだった。僕はかなり傷ついてしまった。せっかく勇気を出して話しかけたのに結果がそうなってしまったからだ。それに、左手の指輪や右腕の腕輪を見て怖くなってしまった。彼女はおしゃれのセンスがいいのに、自分はほとんど無頓着なので、合わないんじゃないかと考えたからだ。午後の十三陵のうちの一つの参観は、そのことがショックであまり面白くなかった。
夜、一人で大学内の売店にふらっと行ったら、Nさんがいた。三国志で話が合い、大学を出て道を歩きながら幕末やNHKの人形劇の話に花を咲かせた。まさか幕末が好きで高杉晋作が上海へ行ったことも知っている人が参加者のなかでいるとは思っていなかったので驚き、また嬉しかった。本日のハイライトだ。彼女も歩くのが好きだそうで、ただ道に沿って歩き、途中で引き返して大学に戻っただけだったがそんなに退屈そうではなかった。僕のほうもいい思い出になった。
今日になってこんな話がじっくりできるなんて思ってもみなかった。まだ3日 ある。もっといろんな人と話をして心の財産を作りたい。そういえばバスの中で M君の隣に座ったので音楽や女性の好みの話をした。これも中国で作った良い 財産となるだろう。
頤和園では耶律楚材洞が一番よかった。墓や像があった。近くにあった売店で水滸伝のしおりを買った。
参観が終わって集合場所で待っているとき、KN先生と折り畳み傘の話をした。僕の持っていた傘は2段に折り畳むものだったが、先生の持っていたのは3段に折り畳むものだった。僕はそのとき初めて3段のものがあることを知った。結構驚いた。周りの人もだいたい持っていて、自分は遅れているんだと実感した。ちなみにWさんも小さめの赤いものをさしていた。こちらを見ていたが、やはりみんなの前では話しかけれなかった。バスに向かうとき後ろにいた彼女の傘が自分の頭にあたったようで、彼女が謝っているのが聞こえたが、振り返って何か気のきいたことを言うこともできなかった。
午後は瑠璃場で買い物をした。遺跡なのかと思っていたのが、実際行ってみると骨とう品の売っている古い店が集まっているだけだった。一人でぶらぶらしていたが、途中でM君と一緒になった。彼は中国語がかなりできるので、買い物の手伝いをしてもらった。
広い店で、折りたたみ型の写真のはってあるアルバムを見つけた。孫文の写真がないのが不満だったが、とりあえず値段をきくと最初は1つ120元だった。これではとてもじゃないけど買えないので、買うのをしぶって交渉するうちに、2つで80元になったので思いきって買った。今までで最高額の買い物だ。その後三国志のトランプを見つけたので、友達のために買っておいた。これも20元から13元まで下がった。友達は感謝してくれた。買っておいて良かったと思った。
夕食はペキンダックをみんなで食べに行った。ペキンダックを切っているところを見せてくれたのだが、TK君がそれをそばで指をくわえて見ているところを写真にとらせていたのが笑えた。彼のユーモアのセンスはかなりのものだ。これまでに何回もそう思ったことがあった。写真を撮るポーズも必ず何か工夫していた。そうすれば後で現像する楽しみが増えるし、いいことだと思う。
夕食後、京劇を見に行った。詳細は省略するが、十分に満喫した。作りものだと思うが、投げてきた剣を足で蹴って返すのが一番すごかった。音楽も生演奏で、2曲目がかっこいいものだった。できたらもう一回聞きたい。
帰りのバスに向かうとき、幽霊みたいに生気がない子供の物乞いに会った。かばんをつかまれたが、たまたま隣にいたSSさんがいたおかげでふりきることができた。どうも僕はそういうものに対してきびしくすることができないので、彼女がいて本当に助かった。杭州に行ったときだったか、寄ってくる物乞いに何の応対もせずつったっていたり、物を売りに来たおばちゃんに対しても黙っているだけだったりしていた。
最後に、とうとうWさんと二人きりになる機会は訪れなかった。非常に残念だ。 いつも誰かがくっついている。後でI君に「意気地なしめ」と言われた。確かに そうだ。だが、今日の彼女はポニーテールがよく似合っていて、いっそう輝いて 見えた。
このまま日本には帰りたくない。だが、もしこのまま帰ったら忘れることができるだろうか。手紙が来ているか来ていないかにもよるが、忘れられないような気がする。だから、近くにいることができる明日、明後日はとても重要だ。本当に、何かを起こしたい。
王府井で降りてから、天安門まで歩いた。天安門に登りたかったが、有料(10ー30元?)だったのでやめた。代わりに建国宣言の情景を想像しながら門の上を見つめた。
次に革命博物館へ入ろうとしたが、荷物のチェック等がややこしそうだったので入り方を教えてもらおうと日本人を待ちうけた。だが、一人も見つけることができなかった。券は買ったのだが、入れなかったわけで、少々残念だ。
日本人を探している間、門の傍らに座って30分以上も爪をならし続けながら待っていた。おそらく周りから見れば変に見えただろう。周りの目が気にはなったが、くせになってしまっていた。
昨日寝たのが2時だったのでかなり眠く、楽しみにしていた人体博物館は止めにして王府井を歩いた。本屋でパンダと上海のフィルムを計50元で買った。次に買ったのはレコードで、安かったので4枚買った。計45元。次はフェラーリのキーホルダー。25元を20元にまけてもらった。だが、袋に入っていない上に傷もあるのでもう少しまけてもらえたかもしれない。とはいえ、おっさんが怖かったので買うのさえ躊躇した。だからあまり積極的には交渉できなかった。それでも買えて嬉しかった。
最後に買ったのは三国志の人形集で、95元を85元にしてもらった。これは衝動買いに近かった。一日でかなり使ったが、まだ200元程残っている。一万円を使い切るのにこんなにかかろうとは思わなかった。
帰りのバスでF君が買ってきたテープを見せてもらった。董なんとかという歌手で、大変かわいい顔をしている。僕はとてもうらやましく思い、日本に帰ったら絶対探すことに決めた。
夕食後、彼と2人で大学内を散歩した。これまで長い間話をしてきたが、中国での最後の夜ということもあってしみじみとしたものがあった。・・・できればWさんと2人で散歩がしたかった。彼女には、まだどの男も近づいていないようだ。不思議といえば不思議だが、やはり近寄りがたいものがあるのだろう。
中国で日記を書くのも今日で最後。途中で少なくなったが、おおむね普段より文章量は多くなっているはずだ。ふり返るのは明日の日記にするが、中国での生活は一生の中で最高の経験のうちの一つになるだろう。そして彼女のことは一生忘れず思い出に残るだろう。
5時半過ぎに宿を出て、バスで空港へ行った。飛行機の席は真ん中の列の左端 で、(右)隣の隣がWさんだった。右隣のF君は窓際に移ったので、隣がひとつ 空いた。だが、F君に(右)隣に写れと言われても恥ずかしくてどうしても動けなかった。それよりも窓際の席にまだ座ったことがないので、F君を恨んだ。
結局きょろきょろしていてのんびりとひとつの景色を眺めるゆとりはなかった。 となりのとなりも気になったが、相変わらず接触の機会はなかった。彼女が飲み 物のサービスを受けようとしてコップを差し出していても、僕は固まって中継ぎ の役をすることもできなかった。最後の日というのに相変わらずだった。今日も Wさんはポニーテールだった。
9時前頃発の飛行機だったので、昼前には上海に着いた。空港でうどんを食べた後、全員に一枚の写真が配られた。それは修了式の後に先生と撮った写真だった。彼女と自分が一緒に写っている、今のところ唯一の写真だ。とても感動した。彼女の写真はどうしても欲しかった。
その彼女は、B君と話をしていた。彼女が同世代の男と話をしているのはあまり見なかったが、彼とO君とKさんくらいのものだ。B君と話している彼女を見ながら座ってI君と話していたが、B君とは本当によく話している。B君は年齢が高いし、テニスをしていたから話が合うのだろうと思った。僕らにとっては彼女はやはり近寄りがたいものがある。
その後、店をぶらぶらしてから空港からの眺めをしばし目に焼き付けた。そして一ヶ月前自分がここに降り立ったときのことも思い出していた。一ヶ月前は興奮していた。初めての海外、初めての中国に対して持っていたのは希望だっただろうか。はっきりとは分からないがそういうものだったのだろう。
上海の空港で2時間ほど自由時間があったので最後の買い物をした。杜仲茶2つと竜沈茶を買った。計170元。残ったのは28元6角5分。1カ月前、1万円を両替して手に入れた748.4元をほとんど使ったことになる。
日本に帰る飛行機に乗る前、初めて見たときのことを思いだしながら少し距離 を置いてWさんを見ていた。あれは(この)セミナーの面接を待っているときだった。そのときに彼女が向こう側に座ったのだった。とても整った顔立ちをしていて、ひときわ輝いて見えた。あの人と仲よくなれたらどんなにいいだろうと思ったものだった。
中国に来て以来、ずっと彼女を見てきた。彼女がどんな人かも少しは知った。 隣の席だったこともしばしばあった。だが話をしたのはほんのわずかでしかなかっ た。あと残りどうすれば仲よくなれるのだろうか。そんなことを考えていた。
飛行機に乗って席に座る前、彼女が後ろにいたので思い切って話かけてみた。彼女が窓際だったので変わってくれるように頼んでみた。不思議と自然に話せた。彼女もそっけないということはなく、とてもいい感じだった。
こうして席を変わってもらい、初めて窓際の席に座ることができた。非常に嬉しかった。遠くからでなく直接窓から見る景色はかなり違っていた。素晴らしいのひとことだった。何枚か写真を撮った。中国の風景、広大な長江の河口、雲の間にできた河などを。とてもきれいだった。
15時何分か発の飛行機に乗り、18時に日本に着いた。JALだったのでサービスが良く、機内食もおいしかった。
日本に帰ってみて、自宅に帰るのが楽しみだった。なぜなら、手紙が来ているかいないか、留守録はどうなっているか気になっていたからである。関西国際空港を歩いていて一ヶ月前出発する前のことを思い出していた。あれから自分はどう変わったのだろうか。自分ではあまり変わっていないように思えるが、やはりどこか変わったところはあると思う。
・・・Wさんの近くにいれるのも空港で最後だった。写真を撮りたかったのだが、やはり頼みにくかった。変わりといっては何だが頼みやすいFJさんという人と一緒に写真を撮ってもらった。彼女のスーツケースに貼ってあったジェームズ・ディーンのカレンダーが非常に格好よかったからだ。ああいうものが欲しいと思った。
FJさんだが、彼女はとてもいい性格の人だ。彼女のいる食卓はいつも明るかった。人なつっこい話し方で、周りを明るくする人だ。その人と写真がとれてとても嬉しい。ただ、フラッシュを使わなかったので、写り具合が心配だ。
解散すると、Wさんはすぐに外へ出ていってしまった。エレベーターから見た走る彼女の後ろ姿が最後だった。誰のもとへ行くのだろう。迎えに来た彼氏・・・か、家族のもとへだろうか。今にして思えばスーツケースを放り出し、後を追いかけて彼女を呼び止め、何か話をするべきだった。僕は彼女が好きだった。おそらくこれからもそうだ。
また一回全員が集まる研修のようなものがあるかもしれないが、そのときが彼女に接近する最後のチャンスかもしれない。そのことに今気が付き、新たな闘志がわいてきた。まだ大きなチャンスがあるんだ。それまでに勇気を出せるよう修行しておこう。
JRの快速で大阪まで行き、梅田まで歩いて阪急で総持寺で降りて歩いた。上 海では曇っていたが、大阪では完全に雨だった。雨の中をスーツケースを押して 傘をさしながら歩くのはかなりつらかった。しかも夜だったので周りが見にくく、 (家の近くで)道に迷ってしまった。
結局着いたのは9時過ぎだった。期待に胸をふくらませて郵便受けをのぞいた。広告が入っていたが、手紙はなかった。これであきらめなければならないのか・・・と残念がった。そういえば中国の人からも来ていない。どうしたのだろうか。どちらにしろ手紙は一通も来なかった。さらに、留守録はたったの7件で、ろくなメッセージはなく、最後に母親の帰ったら電話くれという言葉があっただけだった。
手紙・留守録共に拍子抜けの内容に終わったので、とても淋しい気持ちになった。部屋に入ったとき、何か嫌な気持ちになった。部屋の机などを見て、つまらないもののように見えたからだ。これからつまらない生活が始まるような気がした。中国の宿の感じを思いだし、もっといたかったと思った。
冷蔵庫を開けると、米が腐っていた。かなりひどいものだった。一回あけたきり、閉じたままだ。冷蔵庫のコンセントを入れ、冷えるのを待ってから処理しようと思う。
部屋でそんなこんなをしていると、ふと目頭が熱くなってきた。きっとWさんのことを考えたからだろうと思い、写真を見てみた。だが、彼女のことだけじゃないことが分かった。中国で話をした人たち。恋愛話をした男連中。たまたま話が合って話をした女の人たち。その他今まで一緒に行動してきた人たち。そういった人たちと会えなくなると思うと、急に涙があふれてきたのだった。
中国で最もよく聞いたのは佐野元春だったが、自宅で聞いてみるとやはり良く、おそらくこれからこれらの曲を聞くとセミナーを思い出すような思い出の曲になるだろうと思われた。
感慨にむせび終わると、とりあえず実家に電話をした。10時前になっていた。 電話に出たのは父親だった。話をしていて、自分が父親の影響をかなり受けてい るんだとなぜか実感した。なぜかはよく分からない。とにかくあまり話したくな いように思えた。
次におばあちゃんに電話をした。久しぶりに声を聞いたが、元気そうで安心し た。電話を済ませ、風呂に入ろうとすると母親から電話がかかってきた。母親が 電話しろというから2人のおばさんにも電話をした。姉にも電話をした。僕が日本と連絡をとらなかったことで少し言われたが、無事を喜んでいるようだった。
風呂に入った後、Oに電話をしてみた。留守だった。彼とは話をしておきたかっ た。セミナーの良さ、中国の良さ、今のセミナーを終えての感慨深い気持ちを。 電話をした後日記を書き始めたのだが、もう1時を過ぎてしまった。みんなは今 頃何をしているのだろう。おそらくもうほとんど眠っているのだろう。自分もも う眠らなければならない。そして明日起きたときどんな感じがするのだろうか。 これからの平凡な毎日が何か嫌になってきた。もちろん平凡にするかしないかは 自分次第だ。セミナーで得たものを生かしたい。今日の日記は今までの最長だろ う。何と入っても最終日のしめくくりだからだ。最後の言葉は、これにしたい。・・・ (カット)。