福島・新潟

会津若松城

データ

期間:2000年3月29日・30日31日

交通手段:自動車(ジェミニ)

ルート:三重県〜福島県〜新潟県〜三重県

観光地:白河城、二本松城、野口英世記念館、会津若松城、新発田城、長岡市郷土史料館



3月29日

 10時頃起床。13時過ぎに家を出た。床屋の前を通ると開いていたので、散髪することにした。散髪後、14時過ぎに出発した。目的地は福島だ。国道23号で北上した。

 愛知県を走っていると、地図に大高城が載っていたので寄ってみることにした。通り道だ。しかしそう簡単には見つからず、見つけても駐車場所に手間取った。(00/03/30 21:37:27 記入)住宅地の中にある丘のため、入り口すら見つけるのは難しかった。広場に盛り上がった部分があり、ここが中心部分なのだろう。地形以外特に遺構は見当たらなかった。城址碑や祠があった。

 国道1号に入り、東に向かった。岡崎市では右手に岡崎城があった。新しい門ができていた。復元なのか気になるところだ。石垣も新しいようだった。徳川家康の出身地だけあり、観光地になっている。通り過ぎたのはほんの一瞬だ。

 豊橋からは1年前と同じ道だ。浜名湖あたりでは右手に海の波が見えた。迫力がありそうだった。掛川では天守のライトアップが見えた。真っ白だった。1号の各バイパスは夜遅くならないと無料にはならないのが残念だった。まあそれほど混んでいた印象はない。

 沼津で国道246号へ。前回は皇居まで行ったが、今回はすぐに環状七号に入った。全然迷いはなく、国道4号で北上した。バイパスの道と前からの道があったが、バイパスを選んだ。やはり面倒という気持ちがあった。新利根川橋の手前あたりで寝ることにした。3時頃だったと思う。なかなか寝付けなかった。(00/04/02 02:36:39 記入)

3月30日

 6時半頃起床。今回の旅の唯一の有料道路である新利根川橋を渡った。日光東照宮を気にしつつ、栃木県を通過した。行きたかったのだが、ルートの都合上と、高い入場料がネックとなっていた。

 国道4号線を北上し、福島県白河市に着いた。最初の目的地だ。白河小峰城はすぐに見つかった。石垣には驚かされた。堀に面してまさに城壁といった感じで築かれていた。その上に三重櫓が復元されている。

 城の入り口には狭間をかたどった模様のある塀があった。入ると城郭風建築物のトイレがあった。城内はかなり広く、休憩所なども建てられていた。本丸入り口は正面の石垣が高く、威圧するようだった。

 よく見ると石の継ぎ目が波打っていて模様ができている。意匠上のものなのか、遊び心なのか。石垣はとにかく見事で、その高さもさることながら、隙間なく積まれていてくっついているのではないかと思わせるほどだ。(00/04/02 13:52:26 記入) 三重櫓

 三重櫓は逓減率が高く、端正な姿をしていた。石垣の上に建つ様は、まさにシンボルといった雰囲気を漂わせていた。驚くことに中に入るのは無料だった。他の櫓の復元のための募金を募っていたので、わずかながら協力しておいた。つまりはそれぞれの気持ちが入場料になっているようなものだ。その姿勢に感動した。

 木造であり、内部の構造は木材がまるみえだった。階段も急で本格的だ。見事な石垣と、絵図に基づいた復元櫓は非常に魅力的だ。白河を訪れて本当によかったと思った。(00/04/03 10:19:23 記入)

 名前の由来から、行ってみたいと思っていた三春は時間の都合で行くのをやめた。二本松城は看板のおかげで迷わず見つけることができた。箕輪門付近の石垣は探訪者を威圧するのに十分だった。

 箕輪門と櫓、塀が復興されている。海鼠壁の建物もあったが、城とは関係なさそうだった。本丸のほうでは石垣の修復作業が行われていた。石垣の裏にあたると思われる部分は、小さい石を集めたブロックを配置していた。

 天守台などはもう新しくなっていた。かなりきれいになっており、土なども平らにされて整備されていた。丁寧な仕事だと思った。説明板のほうも詳しく書かれている。

 あと印象に残っているのは、周囲の眺望の素晴らしさと、搦手門の礎石だ。心の中に時間的な焦りがあったためくつろげなかったのが残念だ。一番の目的であるはずの会津若松で時間を取りたかった。

 国道49号に出て、西へ向かった。右手に雄大な安達太良山が見えた。あるいは磐梯山か。しばらく進むと左手には猪苗代湖が広がった。緑がかっていて美しかった。美しい景色に囲まれ、爽快な気持ちで運転をした。そういえばドライブ自体旅の楽しみの1つだったことを思い出した。

 左手に突如現れたのは、「野口英世」の文字だった。普通なら見過ごすのだが、どうしても寄ってみたいという気持ちが強かった。車を停めると、野口英世記念館があった。嬉しい発見だ。昔伝記で読んでいたのだが、猪苗代湖の近くで生まれたことをすっかり忘れていた。

 生家が保存されていた。火傷をした囲炉裏や、家を出るときに柱に刻んだ文字(の写し)などもあった。それにしても生家が残されているとはまったく知らなかった。こんな発見をできて嬉しかった。

 記念館には様々な展示があった。明治以降の人なので資料も豊富だ。これらの中で記憶に残っているのは、身長が150cmちょっとで足が23cmで小柄だったことと、内臓の細胞の写真と、カラー肖像写真と、母の手紙だ。

 一番心を打たれたのは、研究に命を捧げたことだ。昔から苦難を乗り越え、努力を重ねた偉人だ。大いに刺激されるものがあった。本当に福島に来てよかった。

 会津若松市に着き、鶴ヶ城へ来たときにはもう閉館前の16時半だった。ぎりぎりで天守に入った。(00/04/03 11:43:07 記入)最上階からは3,4箇所の虎口がよく観察できた。残念ながら急いでいたためか、展示物の内容は覚えていない。

 天守を下り、城内を観察した。門付近では櫓の再建工事が行われていた。石垣の模様入りの囲いがおもしろかった。どの程度まで忠実に再現できるのか気にはなっている。

 さて、城内ではいろいろ印象に残るものがあった。まず、本丸を囲っている石垣上では、柱を固定するためと思われる穴が等間隔に並んでいた。何もないよりは、そこに櫓があった証拠を見つけることができて感激した。

 御三階の石垣も確認した。石垣について書きたい。石垣のある城ばかりを訪れているからでもあろうが、東北の城は完成された石垣を持っている。二の丸より本丸に至る廊下橋を渡ると、目を見張る石垣に出迎えられる。石垣だけでもすごいのに、どんな建物があったのだろう。ちなみに、天守台の石垣は古い。それもまたよい。

 阿弥陀時へ向かった。御三階が移築されている。立派な玄関がついていた。城郭建築というよりは住宅建築っぽい。しかし三階建てである。墓地の中にあり、裏に回ると一般住宅の窓になっていた。

 日没前に神指城を探したかった。しかし探しているうちに日が暮れた。鶴ヶ城の北西数キロという情報だけではいかんともしがたかった。残念に思いつつも会津若松を後にした。

 国道49号を走りつづけ、阿賀の里という道の駅あたりで寝た。22時頃だったか。(00/04/03 13:30:48 記入)

3月31日

 5時半頃起床。国道290号で新発田市へ行った。新発田城は難なく見つかった。本丸の門と櫓がある。石垣が隙間なく積まれていた。2重櫓は結構大きかったと思う。残念ながら、門は開いていなかった。時期も外れていたし、時間帯も早すぎた。

 石垣を堀を挟んで眺めるだけなので、見学時間は大してかからない。少々物足りなく感じた。しかし海鼠壁の建物はきれいで他の城とは違った雰囲気を持っているのはよかった。

 元気があれば村上まで行ったのだが、十分に睡眠や休息をとれていないため、疲労感があった。群馬を経由するのもやめにした。ということで、国道403号を通って国道8号に至り、長岡市に入った。

 長岡といえば河井継之助だ。城もあったが、完全に消滅したと言っていい。「四郎丸」や「城内」といった地名が残るのみだ。史料館を探したが、なかなか見つからない。看板すらない。これはちょっと納得いかなかった。悠久山にあるのだが、入り口を見つけるのさえ苦労した。

 史料館は城郭風建築になっている。展示は長岡が排出した著名人に関するものだった。人数が多いため、個々の説明が物足りなく思えた。たとえば自分が関心を持っている長岡藩の幕末の状況は詳しく知ることができなかった。

 国道117号で長野に向かった。途中クアハウスで風呂に入った。久しぶりの入浴なので、極楽だった。また、国道沿いの景色が素晴らしかった。雪原と高い山々。道路には全然雪が残っていなかったので、走るのにちょうど良い季節だった。

 国道18〜19と、一気に名古屋まで行った。19号は夜しか走ったことがないような気がする。走りやすい道だったので、昼間の景色をいつか見てみたいものだ。

 国道303号は甚目寺までしか通じていなかった。苦労のあげく、何とか23号に入り、家まで戻ってきた。(00/04/03 23:56:18 記入)


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