広島


データ

期間:9月18日〜20日

交通手段:自動車

ルート:三重県〜広島県〜三重県

観光地:広島城、原爆記念館、亀居城、小早川神社、木村城、手島屋敷、三原城、龍野城


9月18日

 10時半頃起床。9時半から歴史講座の最終回だったのだが、寝坊してしまった。寝るのが遅かったからだ。学校に急行した。最終回は安濃津についてだった。やはり古文書を読んだが、生の古文書を解説されてもほとんど頭に入らなかった。古文書の歴史的位置付けについての説明にもっと重点を置いてほしかった。

 修了式があり、受講者に修了書が渡された。1人1人渡されたのだが、中国語学セミナーの修了式を思い出した。注目を浴びるのに慣れていないが、修了書をもらうのはやはり嬉しかった。

 …(99/09/21 01:40:05 記入)

 一度家に帰り、14時過ぎに姉と大阪まで行った。姉を助手席に乗せて運転するのは大変だった。国道163−168−阪奈道路を通ったが、渋滞で3時間ぐらいかかった。Tさんと3人で夕食を食べた後、18時半頃大阪を出た。

 国道2号でそこそこ順調に市内を抜けたが、明石で渋滞がひどかったので第2神明を走った。加古川バイパスからまた国道2号で広島まで走った。広島までが長かった。夜なので景色が分からず、車も多めだったので単調だった。

 国道375号で呉へ。看板のおかげで呉高専はすぐに見つかった。父親に電話し、宿舎の場所を聞いたのだが、メモを取らなかったことと疲れていたことで分からなくなった。結局迎えに来てもらった。時刻は深夜2時頃だった。(99/09/21 15:11:54 記入)

9月19日

 9時頃起床。昼前に父親の車で広島市に行った。1時間ぐらいかかった。まず広島城へ行った。近世城郭へ行くのは久しぶりだ。二の丸は門と櫓が復元されている。木造であり、中へ入れるのがよかった。

 本丸へ行き、天守に登った。おそらく鉄筋コンクリート造りだと思うが、あまりコンクリートは目立たなかったような気がする。内部も、最上階からの眺めもあまり印象に残っていない。

 城内はいろいろ発見があった。まず、本丸が2段構造になっているのを初めて知った。大阪城のように高石垣にする技術がまだなかったからなのか、また別の意図があったからなのか。天守台付近は幅の広い犬走りのような感じだったが、北西隅には櫓があったというのも興味深い。

 北東に行くと、隅はゴミ捨て場になっており、上段の石垣は崩れていた。この辺りはあまり人が来ないから放置してあるのだろうか。石垣は西に行くに従って古くなっており、積み方も異なっているように思えた。

 石垣に注目してみたが、石が赤いのはもとからの色なのか、原爆の影響なのか今ひとつはっきりとした確信が得られなかった。傷ついている石もあったので、これはやはり原爆の影響なのだろう。

 広島城ではかなり疲れたが非常に満足した。これぞ近世城郭といった縄張りがよい。欲を言えば隅々まで歩き回りたかったのだが、暑さと同行者がいたためできなかった。引き続いて平和公園へ行った。

 原爆ドームでは広島城で使った体力が回復せず、しんどかった。ドームを見ても感動は涌かなかった。ただ付近に散乱した遺物をそのまま残してあるようで、それを見て少しは雰囲気がつかめた。

 資料館は勉強になったが、立っているのも疲れるほどであまり憶えていない。原爆投下後の広島城の写真がほとんどなかったのが残念だ。そういう余裕がなかったのだろうか。天守の展示でもあまり原爆と広島城については展示がなかったように思われる。

 資料館を一目見た感想は「何の変哲もない建物だ」だった。後になって配置に感心したものの、建物自体特に美しいというわけでもない。なぜ、デザインに注意を払っていないような建物にするのだろうか。(※偏った見方だったようだ)

 広島だけで3,4時間ぐらいとってしまった。岩国に行けなくなってしまった。手前の大竹市にある亀居城へ行くことにした。(99/09/21 16:36:24 記入)発掘調査が行われ、石垣が残っているというのでかなり期待していた。しかし公園化による整備が行われていた。石垣はきれいに積まれていた。勝手に積んだんじゃないかという感じがした。うまく表現できないし詳細は忘れたが、かなり期待はずれだった。

 本丸へ行くと1人でモデルガンを連射している人がいた。人気のない場所でストレス発散をしているのだろう。異様な光景ではあった。さて天守台に登ってみたが、何とコンクリートで地平を固めていた。雨が入らないようにするためのものなのだろうか。そういえば石垣には排水口がいくつも設けられていた。

 今日はここまでだ。とにかく疲れたが、広島城と平和公園の資料館が特によかった。(99/09/22 01:48:16 記入)

9月20日

 7時半頃起床。8時過ぎに呉を出た。呉は、海沿いの景色の美しい町だと思った。国道185号で竹原まで行った。寄りたい場所が多かったので寄っていくか迷ったのだが、通り道だしそんなに時間を取らないつもりで木村城へ行くことにした。

 国道432号で北上。木村城は、小早川隆景が本家を継ぐまで竹原小早川氏の居城だった。麓に小早川神社があったので行ってみた。説明板があったものの、かなり荒れていた。建物は朽ち果て、部分的に崩れていた。これはひどいのではないだろうか。大河ドラマに便乗して何らかの整備がされていてもよさそうなものだが。

 神社は石垣の上に建っている。苔むす石垣はなかなかよかった。角では滑らかな曲線を描いていた。かつては訪れる人も多かったという神社だが、再興されることはあるのだろうか。ともかく、いかにも放置されてきたたたずまいを味わうことができた。

 木村城の看板は国道沿いにあり、容易に城跡入り口を発見できた。県指定史跡になっていて、登山道の案内があった。しかし特に整備されているわけでもなく、田畑の合間から登山をすることになった。これはこれで雰囲気があっていいかもしれない。

 段々畑のような土地が見られたが、屋敷跡だったのかもしれない。登山道は途中土砂崩れの跡があったりして通りにくかった。ここもあまり人が訪れていないような感じだった。まあそれはそれで探検の気分になれた。

 井戸が3つほどあり、うち2つは跡で1つはフェンスで囲われていた。わずかながら石垣らしきものも見られた。本丸は木で見晴らしがあまりよくなかった。別の郭では多くの瓦があったがいつのものなのか分からない。また石が散乱していた。

 大変な登城だったが、無事に戻ることができた。ガイドブックに載っていたので、ついでのついでで国道の西側にある手島屋敷へ行ってみた。見事な石垣があった。敷地内は人が住んでいるようだった。石垣を見れただけでよしとしようと、これまたせっかく近くにあるのだから竹原小早川氏の墓地へ行った。(99/09/22 11:02:57 記入)

 墓の掃除をしている中年の女性の方がいたが、構わず先に進もうとした。しかし蜘蛛の巣に行く手を阻まれて戻ろうと思った。まだ上の方に道が続いていたので、何があるのか尋ねたところ、誰かの墓があると言って案内してもらった。案内といってもすぐそばにあった。

 その女性の方は蜘蛛の巣をものともせず正面突破していった。あまりよく憶えていないが、その墓は小早川隆景の養父母のものらしかった。掃除を始めながら、いろいろ話をしてくれた。驚いたことに先ほど見てきた手島屋敷に住んでいる人だった。

 何でも掃除する墓が108つもあるそうで、そちらの方が終わったからようやく竹原小早川氏の墓地の掃除に来たということだった。手島屋敷のことも話してくれた。あまり文化財の指定は受けていないが、そういう話はあるそうだ。ただ指定されるといろいろ面倒になりそうだから断っているということだった。

 屋敷に上がってお茶でも、と勧めてくれたが、時間の都合上断らざるを得なかった。かなりもったいなかった。せっかくの偶然の出会いだったが、仕方ない。その方は話し方もしっかりした、いかにも血筋の良さそうな感じがした。

 許可を得たので、屋敷の敷地内を見学した。石垣の両端にある枡形は、南側はきれいに残っていたが、北側は建物があった。畑のところどころに大きな石が置いてあった。西の両端には祠があった。誰を祀ってあるのかは忘れたが、多分小早川隆景ではなかっただろうか。

 屋敷は昔から残っているということだったが、少なくとも屋根は葺き替えたらしく新しかった。鯱のある立派な屋敷だった。裏山は城ではないかと言われているそうだ。少し足を踏み入れたところ、多くの墓が立ち並んでいた。やはりきれいに掃除されていた。108つあるかは分からないが、それほど多かった。

 竹原市へ寄っていって本当に良かった。予想以上に時間を取られたし、いい意味で期待を裏切ってくれた。さて国道2号に入り東へ向かった。三原市で三原城に寄った。本丸に駅ができてしまっていて、また天守台以外に一部が残るのみだった。相当破壊されている。それでも国指定史跡だ。天守台といっても天守があったわけではなく、いくつか櫓があったらしい。かつての名城も、もはや見る影もない。

 福山市の鞆の浦は、資料館が休みらしいのでやめにした。次回福山城や神辺城と共に行きたい。岡山に入って児島へ行く道を探していたのだが、なかなか見つからなかった。大まかな地図しか持っていなかったので、曲がるところが分からなかった。こうして下津井城をあきらめることになった。

 兵庫県に入り、まだ行っていなかった龍野城を目指した。結構山の方にあり、「これから城下町につき道路が狭い」という内容の看板があった。確かに狭く、所々で折れ曲がっていた。また古い家も多くて風情があった。

 龍野城は縄張りに関してはよく分からなかった。櫓門と高麗門、2重櫓に本丸御殿、そして塀があった。残念ながら月曜日だったので資料館は休みで、本丸御殿も閉まっていた。ただ非常に落ち着いた雰囲気で、かえってよかったかもしれない。とはいえ城についてはあまり知ることはできなかった。

 龍野はなかなか良かったものの、あまり書くことがない。ただ寄っただけだった。第2神明を使い、国道2号ー1号ー163号で家に帰った。ちなみに今はもうあれから3日も経つのに腕がかゆい。竹原でかなり激しい蚊がいたが、そのときのものなのだろうか。

 最後に、短い日数だったが広島はなかなかよかった。まだまだ行ってない城は多いので、もう1度行く必要があろう。今度は蚊のいない冬に。(99/09/23 11:13:54 記入)


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