データ

期間:10月31日〜11月2日

交通手段:自動車

ルート:河芸〜能登半島〜富山県高岡市〜河芸

コメント:オアシスとU2のアルバムを買ったばかりであり、音楽面はばっちりだった。オアシスとU2、クイーンと遊佐未森ばかり聴いていた。
帰省の1日(11月3日)のおまけ付き。


10月31日

 10時頃起床。完全に予定が狂った。疲れていたはずなのに、昨日はなかなか眠れなかった。布団に入ってから2時間もだ。だがかえってF1の番組を見れてよかった。12時前に、予定よりかなり送れて車で家を出た。

 とりあえず荷物を取りに自宅まで戻らなければならない。名阪国道と国道163号を使った。途中遅いトラックがいて、登坂車線で道を譲らなかった。これに腹を立て、テール・トゥ・ノーズでプレッシャーをかけ続けた。車の運転は久しぶりだったが、これで慣れた。

 15時前だったと思うが、自宅を出た。国道171号で京都まで行き、京都から国道367号に入った。京都では道を間違えたがUターンせずに何とかコースに戻った。また不注意で自転車と接触しそうになってしまった。

 国道を北上し、国道161号に入った。既に暗くなっていた。この頃からかなり空腹だった。優柔不断な性格が災いし、夕食を取ったのは石川県に入ってからだった。ともかく国道8号でさらに北上した。

 福井県ではどこも寄るつもりはなかったのだが、丸岡城の看板があり、ライトアップされた天守閣がちらっと見えたため「寄るしかない」と思った。夜だったためよく城の様子を知ることはできなかった。

 天守閣は圧倒的な存在感を持ち、城独特の雰囲気を漂わせていた。ちょうど月が出ていたので一緒にカメラに収めようとしたが、カメラの調子がおかしかった。無事撮れたか心配だ。写真を撮ってしばらくするとライトが消えてしまった。どうやら21時半頃までだったようだ。公園内は人の気配がなく、不気味でもあった。

 石川県に入り、どこで寝るかが心配になった。能登有料道路に道の駅があったのでそこで寝ることにした。今そこにいるが、目前は海である。夜の海というのはちょっと怖い。残念ながら月は隠れてしまった。道の駅のライトが邪魔して星が見えない。だが景色は良さそうなので明日起きるのが楽しみだ。(98/11/01 00:54:06 記入)

10月の総評

 音楽ではU2に出会えたことが大きい。本当に感動した。(98/11/04 20:39:09 記入)

11月1日

 7時半頃起床。昨日はなかなか眠れなかったが、目覚めはまあまあだった。楽しみにしていた景色は、曇っていたせいか期待はずれだった。今日はそういう日だった。能登有料道路を走っていたが、何となぎさドライブウェイを通り過ぎてしまった。

 道路を走っていたら自動的に砂浜に出るのかと思っていたが、出口に入らなければならなかったのだ。ショックだった。だが帰りにまた寄ればいいと考え、戻らなかった。帰りの経路は全然決まっていなかった。

 どこかのインターチェンジで降りて、国道を走っていると激しい雨に襲われた。当然ワイパーを使うのだが、ゴリゴリ言っていた。ゴムを変えてまだそれほど時間が経っていないのに。やはり車が古いからだろうか。だが運転してみて、走行自体は快調だった。燃費も良い。

 国道249号で海岸沿いや内陸を走った。素晴らしい眺めだった。具体的な場所は忘れた。海が3色になっていた。波によって手前は完全に白だった。沖の方では濁った色だった。そして遙か彼方は美しい青だった。素晴らしいのは海だけではなく、所々に散らばった変わった形の岩も楽しませてくれた。

 しかし、腹痛に襲われた。気力では治らない。輪島で旅館のトイレを借りた。旅館の人は少し気分を害していたようだった。雰囲気的に物を尋ねることはできなかった。輪島には天堂城といういい山城があるという情報を入手していた。

 しかし輪島市は広い。山城だから山のある方へ車を走らせたものの、予定のルートから大きく外れてしまった。5キロ程度戻った。雨が降ったことだし朝市にするか、という風に気持ちを切り替えた。幸い広い無料駐車場があった。

 ガイドブックによると一番活発になるらしい10時頃だった。確かに人は多かったが、特に激しく商売しているようには見えなかった。これは実際やりとりをしないと面白くないのだろうが、特に欲しいものもなかったのと、気乗りしなかったのでぶらつくだけにした。

 輪島を出て国道249号を走る。「千枚田」の看板が見えたのでちょっと寄ってみることにした。千枚田というのは小さな田が並ぶ奇景だ。説明を読むと約2100あるということだった。季節にもよるのだろうが、特に感動はしなかった。まあまあの景色だった。

 国道から外れ、県道で能登半島の先端まで行った。特に目的地があるわけ…ここで中断する。F1を見ているのだが、全然面白くない展開になりそうだ。今のところ全然面白くない。(98/11/01 22:39:36 記入)…それからもテレビを見ていたが、素晴らしい結果になった。ハッキネンおめでとう。ただアレジは今回もあまりパッとしなかった。

 話を戻したいが…とにかく能登半島を走った。そういえば、千枚田というのは「狭い田」から来ている、という説があるそうだ。なかなかしゃれがきいている。見付島を見つけじまった、とか変なしゃれを考えてしまった。

 実際見付島は国道から見えた。見付島は軍艦のような形の島だ。特に感動もしなかった。国道249号を走り続け、七尾に入った。途中能登島と能登島大橋が見えた。斜張橋のようだったが、詳しくは分からなかった。

 七尾ではまず小丸山城に行った。公園になっていたが、普通の小山のようだった。「日何とか」という僧の像があった。裏から見ると扉が付いていた。像に扉がついているのを初めて見た。次に七尾城に向かった。まず資料館へ行ったが、料金450円は高いような気がした。資料館と昔の民家である懐古館に入れるのだが、とりたてて感動するものでもなかったからだ。また観光客はどこにもいなかった。

 車で山を上がっていった。途中2手に道が分かれていた。左が展望台、右が本丸だった。迷ったものの、左に進んだ。展望台といっても城とは関係なさそうに思えた。駐車場から800m(自信ないが)歩いた。七尾城を説明する看板が3つほどあった。展望台は近代的な建物で、本当に展望するだけのためのものだった。景色はまずまずだった。

 道を引き返して、本丸に向かった。車を停め、歩いた。突如現れた石垣はなかなかだった。だがいまいち物足りない気がした。車でほとんど上がってしまったからだろうか。また、期待が現実を上回っていただけなのかもしれない。

 七尾城は結構楽しみにしていたのだが、書くことが本当に少ない。再び展望台のほうに向かい、展望台の先の道を進んだ。海の方へ抜けて国道160号に合流するためだ。この道がまた険しく、通行止めの看板があり「前日(10月31日)」までとなっていたので、心配だった。

 何とか通り抜け、国道を走っていると阿尾という城のそばを通りかかった。ガイドブックに載っていたから発見できた。寄ってみたが、あまり詳しいことはまだ分かっていないようだった。どこが土塁なのか分からず、ただの山のようでもあった。

 寺が建っていたが、ガラスで覆われていた。こんな状態の寺は初めて見た。参拝に来ていた老夫婦に尋ねると、放火があり再建されたばかりということだった。このとき初めて能登弁(?)を聞いた。どんなのだったかはもう忘れた。

 国道に戻ると森尾城の看板があったので寄りたくなった。かなり国道から離れたものの、見つけられなかった。看板を出すならもっと分かりやすくしてほしかった。またこのとき燃料が心配で心配でたまらなかったが、補給するとまだ8リットルも残っていた。

 順調に高岡市に入った。18時頃だっただろうか。古城公園のすぐ近くに駐車場があり、寝れそうだった。また近くに風呂もあった。ここでどうするか迷った。旅費をうかすために駐車場で寝るか、大事をとってホテルに泊まるか。

 まだ時間が早かったこともあり、ホテルに泊まることにした。「ビジネス・観光」と書かれたホテルがすぐ近くで見つかったからだ。変わったホテルだったがあえて詳しく書かないことにしよう。宿を決めた後、高岡の街を歩いた。

 夕食を取るためだったのだが、入りたいような店はなかった。駅まで歩き、人気のあまりない道を通った。上越に泊まったときもそうだったが、ちょっと道を外れると暗いちょっと不安になる通りに入ってしまう。

 大仏が見えたので寄ってみた。ライトアップされ、目がギラッとしていたためちょっと威圧感があった。古城公園を通って宿に戻ったのだが、公園内で迷ってしまった。道が左右に別れていたりしたためだ。そして宿に戻ってF1を見たわけだ。(98/11/04 15:58:14 記入)

11月2日

 7時過ぎ起床。8時頃宿を出て、古城公園へ行った。高岡城は堀が3分の1を占める、水の多い城だ。一国一城令により完成後数年で廃城になったらしい。一国一城令というのは酷いものだ。せっかく築いた城を壊さねばならない者の気持ちはどんなものだったろうか。

 次に高岡大仏に行った。こじんまりした場所にある。「奈良・鎌倉と並ぶ大仏」というから奈良のように広大な敷地なのかと予想していた。またこの大仏が再建されたのは昭和になってからだ。大仏の台座の下は回廊になっていた。

 ほとんど人気がなかったので本当に地元に大切にされているのか疑問に思ったのだが、そこには人が(1人)いた。熱心に拝んでいた。何かほっとした気持ちになった。回廊には仏画が飾ってあった。また、焼け残った大仏の頭が安置されていた。いきなり首だけだったのでびっくりした。また顔にはひびが入っていた。

 再び古城公園を通り抜けて宿に戻った。だが本丸の広場に行けなかったのは残念だ。地図をよく見なかったからなのだが、複雑な縄張りなのかもしれない。ちなみに高山右近が縄張りを担当したそうだ。高山右近は高槻城の城主だった武将だ。こんなところでつながりがあった。

 宿を出て、車で瑞龍寺へ行った。道を間違えたというより、道が分からなかったので少し迷った。ナビゲーションシステムの必要性を強く感じた。瑞竜寺は「行くとよいでしょう」というアドバイスに従っただけだった。だが結構感動した。

 瑞竜寺は加賀二代藩主前田利長の菩提をとむらうために建立された。初代藩主の利家は知っていたが利長は知らなかった。また利長の弟が建てたとあって武士の武士のための寺という感じがした。そこが少し気になった。

 とはいえ運良くどこかの団体が来ており、ガイドの説明を聞くことができた。ガイドの人は話が上手で、興味深い話をしていた。山門、仏殿、法堂が去年国宝に指定されたそうだ。なかでも山門はまだ180年ほどしか経っていないにもかかわらず、再建にあたって日本で発達した「和算」によって設計されたことに価値があるそうだ。

 またガイドの話によれば、木材の木目にこだわりを見ることができるということだった。これは単独でまわっていたら気づかなかっただろう。また彫刻の細かさや仏殿の屋根が鉛瓦であることも教えてもらった。今気づいたが、石廟には前田利長・利家、織田信長・信忠の分骨廟があるらしい。見逃していた。(98/11/04 18:15:18 記入)

 高岡からは国道156号から下ろうと思っていたのだが、道がよく分からなかった。国道8号に入ったのでそのまま金沢まで行った。小矢部を通過した。コピー建築の街だそうなので少し心が動いたが、とりたてて寄るほどのものでもないだろう。

 金沢城に行くかはまあまあ迷った。石川門が内部公開しているような情報があったからだ。だが人が多そうな場所は避けようと思った。車も多そうな気がしたから松任で国道157号に入った。そのまま8号を走っていれば小松に行けたのだが。小松城は天守台があるので見てみたかった。

 ほどなく鶴来町に入った。全国地図では、城の記号があった。せっかくだから寄っていこうと思ったが、看板がない。交番があったので詳しい地図を見ようと車を停めた。すると停まっていたパトカーから警官が出てきた。聞いてみたが、知らないと言っていた。近くの神社で聞けばということだったので白山比「口羊」(←漢字が出ない、しらやまひめと読む)神社へ行ってみた。

 広い駐車場があり、観光地していた。境内に入ると中・高校生あたりの生徒が集団で写生をしていた。町内の案内板を見ると博物館の写真があり城郭風の建物だった。多分これが地図に載っていたものだろうと判断した。実際行ってみたが、昔城郭があったのではないようだ。一瞬杵築城に似ていると思ったがそうでもないようだ。博物館は50円で、値段相応の展示だった。城郭風の建物には入れなかった。

 国道157号を下り、勝山市に出た。ここにも城の記号があったので探してみた。勝山市には越前大仏がある。昭和62年の創建だそうだ。いかにも新しいといった風景だった。ガイドブックによると拝観料1000円とある。ふざけるなと思った。奈良の大仏より1メートル高いらしい。それがどうした。

 突如巨大な天守閣が見えた。あれが勝山城かと近づくと一応そうだった。「財団法人 多田清文化教育記念財団」とある。何のことはない、平成になって新たに築城されたと考えるべきだ。ご丁寧に堀まで掘ってあった。

 石垣を見てびっくりした。何と龍が浮き出ているではないか!一体誰の好みだ。一番がっかりしたのは、ただの姫路城の偽物にすぎない外観だ。遠くから見たときは福山城に似ていると思った。天守台の石垣を見て江戸城天守台を思い出した。

 勝山城の由来を読むと江戸時代未完成だったそうだ。博物館となっている館内の展示物はあまり憶えていない。勝山城の歴史についてはほとんど説明がなかったように思う。現在の天守閣ができるまでのビデオを見たが、何もない土地に突如造りあげられる様子が記録されていた。あっけにとられた。

 入館料は500円だった。まあそれだけの規模のものを建てたということだろう。もはやむなしさを通り越して感心してしまった。というか何というかどうしたもんだろう。城からは大仏のある寺がよく見えた。寺からも城がよく見えるだろう。勝山市。住民の方はこの状況をどう考えているのだろうか。

 大野市が近かったので大野城にも行った。城下から天守が見えた。何となく宇和島城を思い出した。裏から登った。再建された天守の石垣は再建時に積まれたものだそうだ。城内には金森長近の像があった。

 大野城は10年ほど前に行ったことがあるが、そのときは閉まっていた。ようやく入ることができた。コンクリート造りなのだが、うまい具合にペンキが剥げていて木造かと一瞬思ってしまった。天守付近の石垣はやけに細長い部分があったりして変わっていると感じた。

 城の近くには朝倉義景の墓があった。いきなり看板が目に入ったので反射的に寄りたくなった。今回は一乗谷に行けなかったが墓だけでも行っておこうと思った。ちょっとした公園として整備されていた。そばには殉死した家来の墓もあった。

 大野からはもう帰るだけだ。国道476号で国道365号まで行こうと考えた。だが途中通行止めになっていた。地図でトンネルだと思っていたところが実は工事中だったのだ。ただの勘違いだ。やっぱりナビが…。

 武生から国道365号で木之本に行った。そして国道161号で南下した。何となく琵琶湖の西側のほうが空いているように思ったからだ。大津で混むのを嫌って右折し、京都に入ったのだがここでかなり迷ってしまった。看板が全然知らない地名ばかり出てきたのだ。大原とか岡崎とか。かなりあせったが走っているうちに国道1号に出れた。あとは一度自宅に戻って実家に帰った。家に着いたのは1時半頃だった。

 今回の旅では様々な動物に出会った。七尾あたりでは鷹らしき鳥の「ヒョロロー」という鳴き声がよく聞こえた。七尾城付近では足を怪我した犬が歩いていた。面倒を見てやる勇気はなかった。見付島の駐車場では首輪をした犬がさまよっていた。

 高岡城では白鳥(?)がいた。道にアヒルが2羽「グワッグワッ」と鳴きながら地面をつっついていた。近づいても全然気にしない風だった。餌をねだっていたのだろうか。鳴き方に愛嬌があった。

 鶴来では、反対車線だったがいきなり猫が道路に出てきてねっころがった。思わず「自殺志願者(猫)か?!」とつぶやいてしまった。ひなたぼっこでもしようとしたのだろうか。平和な猫だ。鶴来町の神社では腕にテントウ虫が止まった。しばらくそのままくっつけて歩いた。とにかく動物のことはよく憶えている。いつしかいろんな動物に会うことも楽しみになった。

 ドライブは満喫できたものの、なぎさハイウェイを走れなかったのは残念だ。多分いつかは走るだろう。いつになるかは分からないが。夕日を見れたら最高だろう。(98/11/05 14:10:05 記入)


おまけ

11月3日

 10時過ぎ起床。13時半に原付で家を出た。明日面接があるため今日中に自宅に戻らなければならない。今回は新しい道を開拓した。関に向かう県道から別れる道で、多分芸濃町を通ったと思う。とにかく険しく車ではかなり困難だと思われた。

 毎度のことだが、燃料が少なくなっていてガス欠にならないかと冷や冷やした。何とか、長野峠を越した後の国道163号に合流できた。大山田村を走っていると、古墳の看板を見つけた。本当は鳴何とか古墳だけに行くつもりだったのだが、つい寄って行きたくなった。

 名前は辻堂古墳だったと思う。円墳か前方後円墳だったらしいが、現在は石室らしき物が残っているだけだ。またしばらく走って国道に戻ると、今度はまた別の古墳の看板を見つけた。名前は忘れてしまった。寺とか音とかいう漢字が含まれていたと思うが。

 とにかくその古墳はなかなか大規模なものだった。前方後円墳で、濠を巡らせていたらしい。県下では珍しいそうだ。だが現在はほとんどが田畑になっており、形はよく確認できなかった。貴重なら整備すべきだと思う。

 結局目標の古墳は通り過ぎてしまったようだ。まあまた次の機会にすればいいだろう。順調に木津まで行った。明日の面接への道を確認しようと思った。比較的簡単に見つかった。そこから家までは1時間半もかからなかった。鉄道を利用するより早いと思う。

 今日ようやくU2の歌詞を見れた。やはり歌詞を味わうバンドだと思う。(98/11/04 00:49:05 記入)


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