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交通手段:自動車(ジェミニ)
ルート:三重県〜青森県〜三重県
観光地:西尾城、白石城、仙台城、涌谷城、中尊寺、弘前城、横手城
9時頃起床。午前中はレックスの洗車とワックスがけを済ませた。長い間洗っていなかったが、それなりに輝きを取り戻せた。レックスを車庫に収め、すっきりした気持ちで旅に出ることができる。
予定時刻が結構遅れてしまい、家を出たのは14時を過ぎていたと思う。目指すは北東、すなわち東北地方だ。この日はとにかく進めるだけ進むだけだ。
とはいえそれだけではなんなので、途中西尾城で休憩した。国道23号を走っていたら看板が目に付き、寄り道する格好になった。
西尾城には丑寅櫓が再建されている。以前「城」という本で復原された天守を見たことがあったためその姿を想像していたが、思ったより小規模だった。
閉館時間だったが、管理人は入り口を開けてくれた。中は狭かったが、礎石に載っている柱が確認できた。展示物はなかったが、木造なので温かみがある。どうやらかつては物見櫓だったらしい。
石垣もそれらしいものがあったが、本当に一部分でしかなく、当時のものがそのまま残っているかどうか分からなかった。
さて国道1号に入って東京に向かった。1号を走っていると目にする城がある。それは掛川城だ。今回はライトアップされて誇らしげな城を見て何か嬉しい気持ちがあった。
東京までの道のりは、ドライブとしては退屈なものだった。一本道で、非常に単調だ。今回の旅で、1ついつもと違ったのは、詳細な地図を持っていないことだ。全国道路地図が見つからなかったので、高校の社会で使った普通の地図しかなかった。
地図がなかったため、この先迷うことが多かった。最初に迷ったのは、東京だ。予定通り夜中に着いてさっさと抜けるつもりだったが、途中で分からなくなってしまった。
予定では環状道路を使って国道4号に抜けるつもりだったのだが、道を見失った。しばらくさまよった後多分122号に出たと思う。それからどこかのパーキングで寝た。具体的にどこかは忘れたが、埼玉か栃木の県境あたりではないだろうか。1時か2時ぐらいか。(01/09/14 23:20:15 記入)
5時半頃起床。泊まった駐車場のトイレは汚かった。これだけでもその土地の印象が悪くなるというものだ。そういった意味で残念だった。
さてこのまま122号を走ると別の方向に向かってしまうので、国道4号に出た。このときにも少し迷った。地図のない者にとっては看板の情報は非常に重要だ。この先、看板が出てこない道路もあって苦労の連続だった。
4号に出てしまうと、運転は退屈なものだった。最初の目的地である白石に着いたのは昼過ぎだった。(01/09/15 10:34:27 記入)
写真で見た天守は細長い印象があったが、実際はそれほど不自然ではなかった。それどころかバランスよく美しかった。内部では積極的に説明をしてくれる人がいて、この建物を誇りにしていることが伝わってきた。
とはいえ石垣に関しては少々違和感があった。これまでのイメージからは雑で、粗くて独特の迫力をもっていたのだが、白石城で新たに積まれたものにはそれがなかった。
きれいに積まれていて野面積みらしくないのだが、どの城でも完成時はこんな感じだったのだろうか。また、個々の石が大きめなのも気になった。さらに角がきれいな勾配を描いていたことも。
とにかく美しい建築物を見ることができて満足した。さて次は方向を変えて米沢に向かった。結構迷ったのだが、行きのうちに寄っておくことにした。
米沢では激しい雨に降られた。だが史料館の展示物はなかなかだった。上杉謙信の所用のものや、有名な直江兼続の鎧も見ることができた。
残念なのは新しくできたと思われる博物館らしきものに入られなかったことだ。時間の都合上廟所も行けなかった。ぜひとももう一度訪れたいものだ。
さて次は山形だ。これまた時間の都合で上山城もあきらめた。とにかく旅行の範囲が広すぎる。山形へは当然夜に着いた。
山形では2つ見どころがあった。1つはかなり格好いい最上義光の銅像で、もう1つは東大手門だ。この2つは夜でも十分鑑賞できた。
さて、それからだが…。結構記憶が曖昧になってきた。米沢でかなり濡れたので風呂に入ったと思うのだが、どこだっただろうか。何となく黒沢温泉という名前だったような気がするが。毎度のことだが、どこで風呂に入るかはなかなか決まらなかった。
そして仙台に向かい、あれよという間に仙台城に着いた。しかし寝床が見つからず、結局郊外に戻ってパーキングで寝ることにした。(01/09/15 23:09:30 記入)
書き忘れていたが、入浴後体重を量ると46しかなかった。まあ、あまり食べてないのだからこんなものか。(01/09/16 22:57:07 記入)
6時半頃起床。まずは仙台城へ行った。しかし早すぎて駐車場が空いていなかった。仕方なく入り口のスペースに停めて急いで城内を見学した。
本丸に近かったためあまり見るものはなかった。艮櫓の工事付近や、詰の門付近を見学した。施設が閉まっていて仙台城のCGが見れなかったのが心残りだ。
本丸に上がるまでの道はかなり曲がりくねっていて、石垣のすぐ近くを通っていた。車だとすぐだったが、多分麓から歩くともっと見どころがあっただろう。もう1度ゆっくり来たいものだ。
仙台市内でかなり迷った。瑞厳寺を目指したのだが看板を見失い、市内のどこにいるか分からなくなった。さすがに東北最大の都市だ。それだけに走る側としては地図なしでは無理があった。
瑞厳寺はあきらめたが、松島の近くを通った。窓越しに見える景色はさすがにはっとさせるものがあった。
次に向かったのは涌谷だ。どこに城があるのか分からなかったが、駅の案内板で一目瞭然だった。駅から伸びている道を進むと見えてきた。あまりにも分かりやすい。(01/09/16 10:34:35 記入)
天守風建造物があることは知らなかった。橋から見えるその建造物と太鼓堂はまるで親子のように並んでいた。
城からの景色は素晴らしかった。小高い丘で、近くに川が流れ、城下がよく見える。大洲城を思い出した。
史料館に入ると、管理人が白石城のように積極的に話しかけてきた。太鼓堂のことを訪ねただけで中に入れてくれた。思わぬ収穫だ。
建造当時からの場所で残っているそうだが、改変された部分も多そうだ。中は現在物置になっているらしい。ぼろぼろではあったが、その古さが趣があっていい。2階にも上がったが簡単な造りであったためちょっと恐かった。
史料館の人の話では、どこかの先生が来て文化財指定できないか見ていったそうだ。何しろ宮城県で唯一残る城郭建造物だ。城門の移築ならありそうだが、櫓でしかも移築されていないのは貴重だ。
史料館の人は熱心に説明してくれた。亘理氏のことや、伊達騒動のことなどを。そして、太鼓堂が何故残されたのかは不明らしい。
太鼓堂の下の石垣が昔からのものということだったが、逆に反っている石垣は珍しい。いろいろ見どころがあったが、史料館の人の訛りを聞けたのも何か嬉しかった。違う土地に来たということを実感できるし、方言には何となく温かみを感じるからだ。とはいえ訛りのある標準語で方言はあまり話してなかった気もする。
ともかく涌谷は強く印象に残っている。今度訪れたときは城下をゆっくり歩きたいものだ。
涌谷の次は平泉だ。既に台風の影響で風も雨も強かった。特に雨は猛烈に降っていた。このところワイパーの稼働率が非常に高い。
平泉では中尊寺だけ行った。本来なら周辺をゆっくり見て回るべきなのだが、制約はついてまわる。中尊寺ではやはり金色堂だが、近くにできたばかりの史料館もなかなかよかった。
金色堂を見た感想は、「きんきらきん」ということしかない。逆にあまりおもしろくなかったといえるかもしれない。ライトアップされており、完全にセッティングされた状態でしか見られないのは残念だ。自然なままの姿が見たかった。そういうわけで、残っていた旧覆堂のほうが趣があったように思う。
途中から大雨になり、ここで結構濡れてしまった。しかしそれでも旅は続く。次は盛岡なのだが、遠回りをすることにした。有名なリアス式海岸を見ようと、多分国道397号で大船渡に入り、45号で北上したと思う。
雨ということもあって、あまり印象に残っていない。気候はどうしようもないから、仕方ない。それにしても台風と同じコースだったのは不運だった。かえってそれがおもしろかったりもしたが。
宮古で盛岡に軌道修正した。盛岡に着いたときは既に暗くなっていた。盛岡城内は物騒であまりじっくりと見られなかった。やはり昼間に行かなければならない。
一部石垣崩壊の恐れがあるということで、入り口が閉鎖されている部分があった。盛岡城といえば見事な石垣が特徴なのだが、夜間であまり鑑賞できなかったのは残念だ。
次は八戸に向かいたいところだったが、日程との兼ね合いから妥協し、十和田湖経由で弘前に行くことに決めた。国道282号で北上し、十和田湖に寄るかすら迷ったが、103号に入った。
十和田湖を見渡せる展望台の駐車場で寝ることにした。このとき風がかなり強く、台風が来ていることが実感できた。他に停まっている車もなく、心細かった。
ラジオをつけると、テロ事件の報道をしていた。とんでもないことが起こったということは分かった。さすがに少し恐くなったが、とりあえず寝た。(01/09/16 11:45:16 記入)
4時半頃起床。展望台から十和田湖を望んだが、曇っていていまいち見通しはよくなかった。せっかく来たのだから、十和田湖を1周してから去ることにした。
とりあえずは左回りだ。神社があったので行ってみた。たいして記憶に残っていないが、そんなに悪くなかったように思う。印象に残っているのは、湖のほとりだ。きれいだったので、手と顔を洗った。
十和田湖をほぼ1周したのだが、結構時間がかかった。また、台風で道路状況は悪かった。弘前に着いたとき、葉がいっぱいくっついていた。(01/09/16 23:05:13 記入)
おそらく三の丸側から入城した。まずは天守を目指した。番所や東内門を見た後、天守が見えてきた。どういうわけか、あまり印象には残っていない。何故だろう。
天守に入れるのは9時からだったので、それまで本丸を見て歩いた。当初の天守台は表面がコンクリートで固められていてあっけらかんとしていた。
天守内部についても、あまり覚えていない。これで現存12天守すべてに行ったことになるのだが、たいして感動もなかった。自分でもよく分からない。
後は現存の3層櫓3基を見て歩いた。縄張では四の丸という名称は珍しいと思う。城門はなかなか大きく、城の規模の大きさと伺わせた。書き忘れていたが、山形城の城門もかなり大きかった。
さて、弘前城の次だが、青森まで行った。特に目的地があったわけではなく、これまで東北地方の県庁所在地を通過しているのでどんな都市なのか見てみたかっただけだ。それに本州最北端まで到達したかった。最初は下北半島や津軽半島を1周するつもりだったが、無理せず妥協することにした。
青森までは前方の車両がのろのろ運転で意外と時間がかかった。市内に入り、港付近まで行って引き返した。市内を歩いている人は変わりないと思うのだが、陸続きで最北端ということで何か新鮮だった。
国道101号で南下した。能代で国道7号に入り、さらに南下。八郎潟付近は通り過ぎただけだが、田が広がっていたのを覚えている。
秋田市内は通り過ぎて、本荘から107号で横手に向かった。秋田の久保田城と横手城どちらかということになれば、思い入れのある横手の方に行きたいと考えたからだ。(01/09/17 12:22:33 記入)
横手城の模擬天守を初めて見たのは、15年以上も前のことになる。下敷きの写真でだ。まさに城らしい城のような出で立ちで、もしかしたら城好きになるきっかけだったのかもしれない。
それだけに閉館時間を過ぎて入れなかったのだが、感慨深いものがあった。瓦の色が違うような気もしたが、それは紛れもない下敷きにあった姿で、建築意匠は今見てもいいものだと思った。
本丸を見た後、すぐに横手を後にした。そういえば、橋を渡ると模擬天守が目に入ってくるという状況は、城下町の定番と思いつつも嬉しいものだった。
国道13号で新庄へ。47号沿いにあると思った肘折温泉は20キロぐらい離れていた。着いたのが少々遅すぎた。明かりも少なく、入りにくかったので引き返した。いかにも温泉の郷といった風景だったのだが…。
引き返してまた47号へ、そして7号に入り新潟のすぐ手前のパーキングで寝ることにした。余分な距離を走ってしんどい思いが強かった。
ラジオをつける時間が合っていて、福原というDJの番組を聴くことが多かったが、その番組のなかでジョン・レノンの「イマジン」が流れてきたときはなにかこみあげてくる想いがあった。
自分でもよく分からない。感動したのは確かだ。そのメッセージや、ジョンがもういないということや、昨日のテロのことなんかがごちゃまぜになって自分の頭のなかでこだましていたのかもしれない。
ただ、同じ局ですぐ次の番組でまた「イマジン」が流れてきたときは興ざめした。(01/09/17 21:48:40 記入)
6時前起床。起きると、海のすぐ近くだった。少し海岸に下りて、手と顔を洗った。塩水で洗うのはよくなかったかもしれないが、十和田湖で気持ちよかったのでここでもそうした。
基本的にはもう家に帰るだけなのだが、1箇所ぐらいは寄れるかと考えていた。村上では、看板があれば城に行くつもりだったが、なかったのでそのまま通り過ぎた。旅行していると思うのだが、幹線道路に看板があるかないかは重要だ。
長く、退屈な道だった。新発田を越え、新潟を越え、長岡を越え、上越を越え、富山へは何時頃だっただろうか。まあ昼を過ぎていただろう。
富山城を1目見た。国道41号で県境まで、これがまた車が遅くて不満なドライブだった。国道360号、これは最高だった。車が少なく自分のペースで走れる。かなりの山道で変化に富んでいる。雲か霧か分からないが、幻想的だった。やばいんじゃないかと思うほど登っていった。
白川付近に出たと思うが、合掌造りの家を見ると懐かしいというか、心が落ち着いた。後は国道156号で岐阜まで南下した。以下22号、302号、23号と走って帰宅した。22時半頃だっただろうか。それほどくたくたではなかったが、無事帰れてほっとした。
4泊5日で、3000キロあまり。ノントラブルのジェミニは10年前の車とは思えない程丈夫だ。割合快適な旅だったと思う。(01/09/17 22:02:08 記入)