中国


データ

期間:1996年8月10日〜9月9日

交通手段:飛行機、他

ルート:大阪〜上海〜北京〜上海〜大阪

コメント:大学の語学セミナーに参加した。関西空港から上海へ。3週間短期留学生として中国語を勉強した。9月4日から北京で観光をした。オリジナルから削除した文が結構ある。


8月10日

 7時起床。7時過ぎにAさんから電話があり、しばらく話をした。その後、室山の祖母からも電話があった。

 7時半頃両親が車で来て、空港まで送ってもらった。途中道が渋滞していて集合時刻に間に合うか心配だったが、何とか着いた。

 空港のロビーでは誰もいなくて不安だったが、知っている人(B君)を一人見つけ無事合流した。

 11時15分発の飛行機で離陸した。空を飛ぶのは初めてなので、とても緊張した。

 空港に着いてからはバスに乗って店に立ち寄り一万円を元に両替した。その後寮に着いたのは16時ごろだった。

 18時に初めて上海の料理を食べた。ご飯が固かった。

8月11日

 7時起床。7時15分朝食。8時半から復旦大学の中を歩いて回った。正門で2枚、中国に来て初めての写真をとった。
復旦大学正門前
10時45分から開会式があり、その後面接をしてクラス分けをした。

 面接では、ほとんど先生の質問が聞きとれず困った。結果はA、B、CのうちBだった。面接後歓迎の昼食があった。このときビールをすすめられたが断り、スプライトばかり飲んでいた。スプライトはぬるかったがまあまあの味だった。

 昼からは五角場に3人(F、K)で出かけた。レコード屋で、ビビアン・チョウのテープをたくさん見つけた。チャゲ&飛鳥のテープがあった。中でも気に入ったのはエルトン・ジョンのテープで、DanielとYour

 Songも入っていて、買おうと思った。ウォークマンで聞くとテープがゆるむのでもっと日がたってから買うことにした。

 それからデパートで初めての買い物をした。中国に来て初めて買ったのは帽子 だった。24元だった。Aさんからデパートの買い物の仕方を聞いていたにもかかわらずいざとなると忘れてしまっていた。

 その後ジュースを一本買った。名前も味もよく知らなかったが、一本だけ買った。2.8元。

 中国に来てからというもの、書くことがあまりに多くて書ききれない。紙が足りないくらいだ。とにかく何もかもが新鮮で、日本にいるときの自分とは違う自分になっていることに気づく。

8月12日

 7時起床。さすがに朝食はあまり入らなかった。中国料理に早く慣れなければいけないが、食べる量が減ってきている。

 今日は午前中は橋を見に行った。橋からは東方明珠テレビ塔がよく見えた。写真を数枚とった。

 午後からは玉佛寺と豫園に行った。2元の7UPを買った。帰りの集合時刻に 間に合わず、3人(F、K)であちこちみんなをさがして歩いた。Tさんが捜しにに来てくれたので良かったが、捜しに来てくれなければどうなるか分からなかった。

 夕食後に上海雑技団を見に行った。バスを降りる際帽子を忘れてしまったが、 かなり前にも書いた顔だちの整った人(名前はまだ知らない)が持って来てくれ ていた。僕は本当に感謝した。

 雑技団の席も隣がその人だった。帽子のお礼を言おうと思っていたが、とうとう話しかけれなかった。ショーもすごかったが、それよりも隣の方が気になっていた。とにかくもっと仲良くなりたい。3日目ともなるとさすがに慣れというものや疲れがきて、黙ることが多くなってきた。1、2日目はまだ元気でよく話をしたが、これからが本番である。また日本での自分のようになるのか、これを機に変わるのか日記で観察したい。

 どうせなら中国語で日記を書こうとふと思ったが、極端に文章量が減るし時間も頭も使わなければならなくなる。まあ、しばらく考えよう。洗たく物がたまってきたので、明日洗たくしなければならない。

8月13日

 7時起床。断っておくが2日間日記をつけるのを忘れ、思い出しながら書いている。この日は初めての授業があった。少々難しく感じたが、クラスを変えるのは先生と中国語で話さなければならなくて面倒なのでこのクラスでがんばることにした。

 午後は書道と絵画の講義があった。50代のおばさんが先生で、講義のあと実演してくれた。手帳にサインをしてほしかったが、言い出せなかった。

 晩は、浦江の遊覧船に乗って船上で過ごした。東方明珠テレビ塔の写真をとったりしていたが、風があまりにも気持ちよかったのでカメラを持ってぼーっとしていたら、うっかり落としてしまった。

 ふたが開いてしまい、フィルムが露出してしまった。これでこれまでの写真がパァかと思うと、落胆ははかりしれないものがあった。新しいフィルムを入れてみたが、空送りできなかったので、カメラが壊れたかもしれない。ズームもしにくくなった。これからとる写真が写っているか心配だ。

 船上で、趙栄華の「求婚」をきけた。とてもうれしかった。

8月14日

 7時起床。規則正しい生活だ。しかし、食べ物が口にあわない。腹は減っているのに、のどを通らないのだ。午前中の授業では、今日の昼からは猛勉強をしなければと思っていた。先生の話が聞きとれなかったからだ。

 だが、一切予習や勉強の類はしなかった。機会がなかったのであるが、それでもやる気次第だった。昼からは、最も親しい友達と二人で買い物に出かけた。考えてみればこれまであまり金を使っていなかった。まだ700元近く残っている。買ったものといえば、水とジュースとスナック菓子とあめとカップラーメンで、全て食料である。何元だったかは忘れた。

 夜に再び出かけた。昼間と同じ二人だった。ぶらぶら歩いたが、サンダルを買った。8元の安物のサンダルで、歩きにくいがこれでくつ下をはかなくて済むので、つぶれるまではくつもりだ。

8月15日

 7時起床。かなりつらい。体力が落ちている。口数も少なくなってきた。悪い癖で、特定の人としかしゃべらないようになってきた。それもたったの2人である。これじゃあ日本にいる時から進歩してないということになってしまう。

 授業では先生の話がうまくききとれなかった。今日こそは勉強だと思っても結局ほとんどしていない。せっかく大学で授業が受けられるのだから、それなりの準備はしたいものだ。

 昼からは太極拳の講義があった。太極拳には様々な効能があるので、自分もやってもようかと思ったが、思っただけだった。

 夜にまた五角場に出かけ、デパートで三国演義という本を見つけた。30元だったが、ほしいと思った。

8月16日

 7時起床。無口になってきた。授業がかなりつらかった。一人で行動することが多くなった。いや、活動せずじっとしている。

 それでも昼からまた二人で五角場に出かけた。他の人達はもっと行動範囲が広いというのにまだ五角場以外のところまで出かけていない。

 ゲームセンターに入り、2回ゲームをした。そこそこおもしろかった。

 ここでちょっと考えてみたい。このままではよくないのではないか。何のために中国に来たのだろう?筆談すらしていないではないか。だが、今は生活に慣れるのが第一だ。明日からの2日間の観光にたえられるだろうか。

8月17日

 6時頃起床。バスで5時間程かけて杭州に行った(部屋の割り当てを発表す るときに、気になっていた人の名前が少し分かった)。名前は忘れたが塔でビートルズの話を2人(TK)でした。自分よりも詳しかったことに驚いた。

 この日記は18日に東苑に戻ってから書いているのでこの日のことは忘れている。杭州はお茶の名産地らしい。一級やら特級やらのお茶を飲んだ。

 団体旅行の不便さを存分に味わい、ぼーっとすることが多くなった。金もほとんど使っていない。一人で自由に周りたい場所だった。

 日記に書くことはまだまだあるが、何しろ疲れている。別にたいしたことでもないからここで終わる。追加:中国に来て初めてシャワーを浴びなかった。

8月18日

 7時半頃起床。午前中は茶の博物館などに行き、昼から西湖を船で遊覧した。おおむねぼんやりしていた。すでにはしゃごうという気は全くなかった。ぼーっとしながら、何のために中国に来たのか考えてみたりした。

 帰りのバスの中から、車にひかれて横たわっている老人を見た。二人の祖父のことを思い出した。 (なお、この2日間で、バスの席はWさんの後ろだった。全然会話はなかった。)

8月19日

 7時半起床。初めて朝食をとらなかった。午前中の授業はきつく、午後からの「中国経済の改革と開放」の講義では眠ってしまった。

 昼に部屋で三人(B、TK)で話していて、自分の気になっている人を白状 した。おかげでその人の情報が分かった。名前はW。日本に帰るまでにはゆっくりと話す機会がほしい。

8月20日

 7時起床。午前中の授業はパッとしない。午後の講義は気功だった。想像よりも簡単で、手を動かしているだけのようだった。一番気に入ったのは「仏の風が耳をつらぬく」。何か笑える。

8月21日

 7時起床。午後の講義がなかったので、歩けるところまで歩いてみることにした。2時間半ほど歩いてみたが、たいした発見がなかった。帰り雨にふられた。こんなめにあって何も収穫なしはつらいので、13元のエルトン・ジョンのテープを買った。一番よかったのは「ダニエル」だった。夜には、ビートルズ話でもりあがった。11時まで話しこんだ。歌ったので気持ち良かった。

 前後するが、歩行に出かける前、関大生の3人がチャイナドレスに着がえて写真をとろうとしていたのに出くわし、照れてしまった。写真をとればよかったと思う。(3人の中にはWさんがいた)

 ビートルズ話でもりあがる前、卓球場に行った。ピアノがあいていたのでひいてみた。楽ふがなかったのであまりひけなかったが、少しは満足した。(東苑最後の日(9月3日)だったか、I君にひいてくれと言われていたが、逃げた。)

8月22日

 7時起床。よくも早起きが続くものだ。早く寝ている(11時半)から当然であるが。授業がかなりつらくなってきた。話を聞かずうつむいていることが多くなってきた。

 午後の少数民族の講義では寝てしまった。講義が終わっても全然出かけなかっ た。何てことだ。最悪のパターンではないか。そのかわりといっては何だが、同 部屋の人と話をした。まあまあの話ができた。

 金を確認したところ、500元以上あった。一枚の100元札は別の場所にあるから、まだ100元ほどしか使っていない。無理に使う必要はないが、それだけ積極性が欠けていることにもつながりかねない。

8月23日

 7時起床。午後から一人で出かけた。行き先の分からないバスに乗って終点まで行くと、そこは魯迅公園だった。魯迅公園ではこれといって見るものもなかったので、ぶらぶらしていた。のどがかわいてきてジュースを買おうと思ったが、何か聞き返されるのがこわくて買えなかった。

 夜、卓球場へピアノをひきに行くと、バイオリンをひいている人(R)がいた。その人に知っている曲をひいてもらい、聴きほれてしまった。驚くべきことに、バイオリンを始めてまだ2年だそうだ。あまりにも上手だったので、かっこいいと思った。

 自分などはピアノを4、5年も習っていたというのに、簡単な曲さえすぐにはひけない。中国にいる間、もう一回聴きたいものだ。

8月24日

 7時起床。午前の授業では眠くてあまり話を聞いていなかった。午後からは上海博物館へみんなで行った。入館後は自由行動だったので、博物館すぐに出て南京東路を歩いた。

 全然買い物をせず、つきあたりのテレビ塔の対岸で一服し、五角場行きのバス停を確認し、食事をとろうと南京路を引き返して歩いた。決心がつかないまま博物館の近くまで戻り、7時から送別会があると聞いていたので帰ろうとバス停をさがしていたが、見つからなかった。他に方法がなかったので面倒ではあったがまた引き返してつき当たりのバス停に戻った。バス停に戻る前、マクドナルドで食事をした。19元ちょっとのセットにした。

 東苑に戻ったのは9時すぎで、送別会はとっくに終わっていた。エレベーターで部屋のある5階に行くと、廊下に4、5人が座って話をしていた。彼らの前を横切るとき、部屋からWさんが出てきた。「あっ・・・」というようなことを言っていたように思うが、僕は黙って通り過ぎた。

 送別会ではケーキが出たらしい。食べれなくてとても残念だ。送別会が男女交流の場になっていたみたいだが、自分が参加していたらどうなっていただろう。

 友達が部屋に来て、明日動物園に行こうとさそってきたが、よく考えた末、ことわった。その友達はひどく落胆していた。気の毒なことをしたと思うが、男二人で動物園に行くのは気がすすまなかったのだから仕方ない。

 明日はいよいよ一日中自由だが、寝ようと思う。確かにもったいないが、たまには寝たくもなる。何しろ毎朝7時起きなのだから。

8月25日

 11時半起床。昼食では数人しか残っていなかった。昼食後残りの人も出かけ、僕だけが残ってしまったようだった。出かける気にはなれず、部屋で情報処理試験の勉強をしていた。ほとんどの問題が分からなかった。

 ところで、日本とはまだ一度も連らくをとっていない。ただ面倒なだけだ。動物園に行くと言っていた友達は、長江に行ってきたそうだ。長江の水も持ってきたと言っていた。少しうらやましかった。

8月26日

 6時50分起床。全員で嘉定という所に観光に行った。中国の農家に実際に行って、家の中を見学した。だが、あまり興味がわかなかった。まだあの人と話ができていないせだろうか。今まで通り、話すのがこわい。このままでは気持ちを伝えられないままになってしまう。

 写真は1枚もとらず、金も使っていない。一体何をしているのだろう。日記に格好いいことも書けない。仕方がないから中国人を観察した感想でも述べる。まず、愛想が悪い。何故機嫌悪いような態度をとるのだろう。社会制度が影響しているのだろうか。あまり自由な雰囲気を感じない。

 次に、自分のことしか考えていない。交通マナーは大阪よりひどい。事故がおきないのが不思議でならない。ぼーっとしていたら車か自転車にひかれてしまう。

 とにかく思うに、精神的な革命が必要なのではないだろうか。上海は変化している。それは表面的なもので、建物である。考え方はなかなか変わらない。

 それはさておき、友達から華佗膏を3つ買った。あまりにも嬉しかったので「かだこう、かだこう」とつぶやいていた。早速つけてみた。

8月27日

 7時起床。中国に来て以来最も平凡な一日となった。強いて書いてみると、夜に男二人(I、KY)と三人で話をしていた。KY君の恋愛話を聞いた後、自分が文通を申し込んだ話をした。日本に帰ったら手紙は来ているだろうか。結構楽しみである。

8月28日

 7時起床。昨日と同じく、もったいないような一日だった。午後の講義で漢字 の起源と発展について聞いたのはいいのだが、自由時間の使い方がやはりもった いない。今日は初めてビリヤードに挑戦したが、結構面白かった。書くことがこれぐらいしかないのは、入国した頃のことを思えば、何ともさみしいものだ。明日は出かけたい。

8月29日

 7時起床。出かけるつもりだったが、腹の調子が悪かったため部屋にいた。残念ながら特に書くことがないので、日本に帰ってからしようと思っていることを書こうと思う。それは、再び自転車で実家に帰ることである。今度は紀伊半島の海岸沿いを走ってみようと考えている。地図で見ると、かなり距離があるので、一日以上かかるかもしれない。だが、多分山を越えないと思うのでやりがいがあるかもしれない。

8月30日

 7時起床。午後は京劇の講義だった。実際に演技をしてくれた現役の役者が50歳を越していたことに驚いた。30ー40代にしか見えなかったからだ。

 この日は風呂も入らず寝てしまった。

8月31日

 7時起床。今日で8月も終わりだ。日にちがあまり気にならないので、いつの間にか8月が終わってしまった感じだ。小学・中学の頃の今日は、明日提出の宿題をしていたと思う。去年はどうだったかあまり印象に残っていない。そして今日は一人で上海の街を歩いていた。

 午前は浦東開発区の見学に全員で行った。まずある建物に入って説明を聞いたのだが、そのとき隣にはWさんが座っていた。話を聞いていたことは聞いていたのだが、隣が気になって仕方がなかった。こんなに近くにいることはめったにないので、話しかけたかったが、できなかった。結局、これまでと同じだ。

 説明が終わった後、実際に見て回り、ついでに長江まで行った。何故かあまり感動はしなかった。

 昼からは一人でバスに乗って人民広場あたりまで行った。上海図書館は、受付らしい人がこわくて閲覧室には入れず、新華書店では結局一冊も本を買わなかった。あまりパッとはしなかったが、かなり歩いた。55路線の終点から歩いたので、結構な距離になる。

8月の総評

 残念だ。せっかく中国に来たというのに、自分の内面に変化が起こっていない。あと10日。ここからどう変わるか、変わらないのか鍵をにぎっているのは、ひょっとしたらWさんかもしれない。明らかに彼女に気をとられすぎている。とにかく二人きりになる機会があればいいのだが。なかったら自分で作るしかない。あと10日だ。


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